良質なミルクを搾るため酪農家は乳牛の健康に気遣い、おいしい餌を与え、快適な環境を準備します。そして体調の変化をいち早く察知するため、乳牛を日々よく観察します。「牛をよく見る」。これこそが酪農家の原点であり、昨今話題のアニマルウェルフェアの観点とも繋がります。日本の酪農家は、乳牛一頭一頭を生き物として大切に扱います。
この連載では、まずその事例の一つとして、しののめファーム(栃木県那須塩原市)の前田匡彦、晶子さん夫妻の取り組みについて取材した内容から、「乳牛」と共に生きる酪農家の本当の姿を全8回の連載を通して紹介します。
第1回 コールドストレスから牛を守る
マイナス10度以下の寒さ
極端な寒さは、作業に支障をきたしただけでなく、乳牛にも影響を与えました。乳牛は寒さに強い動物といわれますが、マイナス10度以下が続くと流石に寒さによる影響「コールドストレス」がかかります。そうなると乳牛は、エネルギーを体温保持に使ってしまい、他にうまく回せなくなるため、乳量も減り、受胎率も下がってしまいます。
カーテンの設置
乳牛を快適な環境で飼いたい前田さんにとって、乳量や受胎率もさることながら、必要以上にストレスをかけている状態が気がかりでした。今年の冬は何としても乳牛を「コールドストレスから守りたい」と考え、寒さが訪れる前に、牛舎の周囲の北側と南側にロールカーテン、西側と東側には厚地のドレープカーテンを取り付け、防寒対策をしました。
酪農経営を始めた前田さんにとっては、まず、経営を軌道に乗せることで頭がいっぱいですが、その中で少しでも資金に余裕ができると、全て乳牛のために投資したいと思っています。今はまだ、潤沢に資金が準備できる状況ではないため、優先度の高いものから順番に設備を整えているところですが、その最初の投資がカーテン設置でした。
牛舎の四方をカーテンで覆うことで、どのくらい寒さが緩和されるかはわからないそうですが、ひとまず乳牛を寒風から守れることは確かなようです。乳牛が少しでもストレスから解放されることを思うと、自分のことのように安堵しています。
第2回 廃棄されるコーヒーかす利用で環境問題に貢献
おがくずと混ぜて1か月発酵して敷料に
乳牛1頭が1日に出すふんの量は約45kg、尿は約13kgといわれています。乳牛は、体重にして600~700kgと大きな体で、ふんや尿を毎日、大量に排出します。
しののめファームで前田匡彦さんと共に働く妻の晶子さんは1日2回、牛床に溜まった排泄物をゴムのヘラで集め、バーンクリーナー(ふん尿溝)に掻き落とします。そしてきれいになった牛床には、ふとん代りの敷料を補充します。
しののめファームでは、敷料にコーヒーかすを使用しています。コーヒーかすは月に2回、20立米購入し、おがくずと混ぜて1か月発酵させます。水分が多いコーヒーかすはそのまま使用すると雑菌が繁殖し、乳房炎など病気を誘発してしまうので発酵は必須です。
乳牛とって快適な住環境は人にも優しく
またコーヒーかすは、コーヒー工場から出た食品残渣物を再処理し、商品として新たに登録する専門の機関を通して購入しています。環境問題の観点からも、しののめファームでは副産物の活用を積極的に推進し、環境負荷の軽減への貢献も意識して牧場経営しています。
さらにコーヒーかすには消臭効果もあります。牛舎内の臭いを減らすことで近隣に配慮するとともに、乳牛にも快適な住環境を与えています。
第3回 削蹄は乳牛の生命線
削蹄師と連携した乳牛の健康管理
乳牛は、4つの足の小さな蹄(ひづめ)で700kg前後の体を支えています。そのため、乳牛にとって蹄は、生活する上での生命線とも言われています。特に、酪農家が乳牛を飼養する管理方法によっては、蹄の伸びが早く、例えば半年に1回は蹄を切りそろえ、形を整えることが必要な場合もあります。
40頭以上の乳牛を飼養する「しののめファーム」では、年に4回、削蹄師の藤田さんに依頼して、1回当たり10〜15頭のケアをしてもらっています。前田さんが現在の牧場経営を始める前に働いていた勤務先で知り合った藤田さんは、個人事業主として削蹄の仕事を請負っていますが、一頭一頭の乳牛全てを手作業で行い、乳牛をよく観察しながらの丁寧な仕事ぶりを高く評価して信頼していたそうです。
蹄は年輪のように層になっていて、それを見れば今だけでなく過去の健康状態もわかると言われています。藤田さんも蹄を切りながら注意深く乳牛を観察し、病気の懸念があるとその都度、教えてくれます。削蹄時に乳牛の健康状態を把握できることは、酪農家の前田さんにとっても大きな安心感につながっています。
乳牛のストレス緩和にも重要な削蹄
乳牛は、よく食べ、よく寝ることが健康のバロメーターですが、それと同じくらい乳牛の蹄の状態も健康にとって重要だということです。前田さんは、毎日の乳牛観察で、餌の食いつきと立ったときの体のバランスに一番の注意を払っています。
乳牛の体が左右どちらかに傾いていないか、前と後からもバランスを確認します。もしそこで体がどちらかに傾いていたり、足を痛そうにしていたりしたら、蹄をチェックします。少しでも問題がありそうだったらすぐに削蹄師の藤田さんに連絡します。藤田さんは2〜3日中には対処してくれるので、前田さんにとっては心強い存在です。
削蹄は乳牛が動かないように枠場に固定し、1頭に時間をかけ、足の蹄を1本ずつ丁寧に長さと角度を整えます。そうすることで、乳牛は、安心して毎日を過ごせるようになります。そのためにも削蹄は、定期的な乳牛の体を労わるためのメンテナンスとしても欠かすことができない大切な仕事なのです。
第4回 将来的な自給飼料の確保に向けて
飼料価格の高騰が酪農経営に影響
乳牛の健康的な体を維持するための「食」は、人間と同じように大切です。特に乳牛の飼料は、毎日、豊富な栄養素を含むミルクを生み出すために酪農経営の生命線ともいえます。
しののめファームでは、TMR(Total Mixed Rations)を中心として乳牛に飼料を給餌しています。TMRとは、牧草を中心にした粗飼料、とうもろこしや大豆に麦などの穀類を中心にした濃厚飼料、その他必要な栄養素分をすべて一つに混合して飼料を給餌する方式です。混ぜる理由は、好きなものばかり食べてしまう傾向にある乳牛の「選び食い」を防ぐためです。
現在、TMRを中心に補足的に自給したサイレージを乳牛に与えていますが、将来的にはこうした飼料を「全て自給飼料でまかないたい」と、酪農家の前田さんは考えています。なぜならば、海外からの輸入に頼ることの多い購入飼料は、現在の世界的なコロナ禍、海外紛争、各国の金融政策などにより大きく変動する為替相場が、飼料価格の高騰にもダイレクトな影響を与えてしまうことから、酪農経営の安定化が図りにくい要因の一つでもあります。
さらに今後も、飼料価格の値上がりはあったとしても値下がりの見込みが薄いとみている前田さんにとって、自給飼料の確保は必須だと考えています。
周囲の評価で、1年で倍の広さ
2020年にしののめファームの経営をはじめた前田さんは、最初に飼料栽培する飼料畑を2町歩(※1町歩は約1ヘクタール)ほどの広さからスタートしました。畑は近隣の酪農家から手を差し伸べてもらい、使っていない畑を貸与してもらいました。借りた畑は、大規模経営に移行した酪農家が広い畑を取得し手放したためで、小さい畑が点在化しています。
一枚畑でないため、使い勝手として整備する際に効率的ではありませんが、「貸してもらえるだけでもありがたい」と前田さんは謙虚に受け止めています。そして一つひとつを丹念に整備し、初年に牧草として使用するイタリアンライグラスを作付けしました。それをサイレージにし、TMRで足りないところを補っています。
2021年は、前田さんの誠実で丁寧な仕事ぶりが周囲の評判となり、1年で4ヘクタール、12枚(区画)の飼料畑に拡大しました。畑を貸してくれる人たちへの感謝とともに、堆肥をまいて土地を起こし、作付けをしながら、新たな自給飼料の準備を進めています。
今後、牧場で育て全頭の乳牛を自給飼料で賄うとなれば、少なくとも6〜8ヘクタールの畑が必要になります。しかも量だけではなく、乳牛においしく食べてもらえるような質も求められます。先は長い道のりですが、まずは土づくりから始め、どの土地にどの種類の牧草を作付けするのが妥当なのか、毎日考えを巡らせています。
第5回 乳牛を健康に育てるための工夫としての“群”
乳牛の状態によって異なる飼料
つなぎで飼われている乳牛も、群で分かれています。北側の20頭は、出産後3か月前後で沁乳がピークを迎えた沁乳初期から中期の乳牛、南側は沁乳後期で乾乳間近とすでに乾乳期に入った乳牛がいます。このように乳牛を群で分けて管理しているのは、例えば沁乳期と乾乳期では、飼料の種類が違うからです。
乳量が増える時期は、栄養分の高いTMRを中心にサイレージや配合飼料など質、量ともに過不足なく与えます。逆に乾乳期には牧草を中心とし、お腹の子牛に栄養が行き届き、母牛が太りすぎないようにしています。
全ての乳牛を健康に飼うための配慮
例えば、飼料への食いつきが良い乳牛とあまり良くない乳牛を隣同士にした場合、食いつきが良い牛に飼料を横取りされてしまい、食いつきの良くない牛はますます食欲が減退してしまうため、食欲によっても並び方を配慮しています。
また冬は横からも寒風にさらされるため、牛舎の端には寒さに強い牛、真ん中に弱い牛を置き寒さから身を守るようにしています。
前田さんにとって全ての乳牛が大切な存在で、一頭も病気にさせたくない思いでいます。そのため毎日、乳牛の状態を見ながら、全頭が健康であるように配置を工夫し、飼養管理を徹底しています。
第6回 阿吽の呼吸で乳牛のストレスを少なく
乳牛が自然に立ち上がる「動き」の工夫
飼料の給餌は、1日に2回、時間を決めて行います。そうすることで給餌のリズムが作られ、乳牛はそろそろ給餌される時間と察知し、立ち上がって待っています。
ちょっとした給餌の工夫が仕事にも影響
晶子さんは、雪かき用のスコップでTMRをすくい、乳牛の口元に少しずつ飼料を均等に分けて行き、それを何度か繰り返します。前田さんは左右にいる乳牛を交互に搾乳していきますが、晶子さんはその動きを見ながら左側、右側に移動しながら飼料を与えていきます。
人と牛との信頼関係で“幸せホルモン”分泌
しかし、晶子さんが何らかのハプニングで給餌が遅れる場合もあります。そのため、前田さんも晶子さんの動きを見ながら、搾乳を進めていきます。
乳牛は、草を食べ、リラックスしているときに幸せホルモンと呼ばれるオキシトシンが分泌されると言われています。そして血中にオキシトシン濃度が高まると乳房に乳がたまり、ミルカーを装着すると良質で十分な量の乳を出してくれます。
前田さん夫妻は少しでも乳牛の負担を減らし、気持ちよく搾乳ができるように、「阿吽(あうん)」の呼吸で日々の作業を行い、乳牛との信頼関係も高めているのです。
第7回 乳牛をよくみる(前編)
いつもと違う牛の様子を敏感に気づく
酪農家の仕事を一言で語るとすれば、この言葉に集約されます。健康に乳牛を飼うためには、よく観ることが大切で、体調などの異変にいち早く気づいてあげることが酪農家に求められます。
万が一、乳牛の異変に気づかず、そのままにしてしまえば、状態を悪化させ、治療をしても手遅れになってしまうこともあります。また、朝になって酪農家が牛舎に行くと、死んでしまっていることもあるかもしれません。それは、酪農家として「絶対にあってはならない」と、前田さんは肝に銘じています。
乳牛が人間と同じ生き物である以上、病気や怪我はつきものです。特に病気になる時は、前兆が必ずあります。体の張りや毛のつや、動作や飼料への食いつき方など、いつもと少しでも違う様子が見られたら、すぐに対処しなければいけません。まず。体温を測り、熱があれば薬を飲ませ少し様子を見ます。しばらくしても体調が回復しない場合は獣医師を呼び、適切な治療をしてもらいます。
異変に気づいたら迅速に処置
原因は、牧草を食べる前に、スターターと呼ばれる消化の良い濃厚飼料を食べたものの、消化不良を起こしてしまったことによるものでした。すぐに薬を飲ませ、獣医師を呼んで処置をしたおかげで、翌朝に乳牛は元気を取り戻していました。飼料の給餌担当の晶子さんも、大事に至らず胸をなで下ろしました。
酪農家は“観察”のスペシャリスト
就農時、前田さんは晶子さんに負担をかけたくない思いから、一人で酪農経営をしようとしましたが、やはり晶子さんのサポートなしでは無理なことがわかりました。晶子さんも前田さんのサポートを快く引き受けましたが、未経験であるため自分に仕事ができるのかどうかが気がかりでした。
晶子さんは、最初、前田さんに手取り足取り教えてもらいながら、目の前の作業をこなすことに精一杯でした。ただ、生き物が相手の職業だけに、いつもと同じ作業をこなすだけでは終わりません。仕事に妥協を許さない前田さんの叱責が晶子さんに飛んでくることもありました。後で取り返しがつかない最悪の事態になるよりは、その場で言うべきことは言った方が良いと判断したからです。
今では、晶子さんも乳牛をしっかり観察できるようになりました。そして、前田さんにとっても晶子さんが仕事のパートナーとして欠かせない重要な存在にもなっているのです。
第8回 乳牛をよくみる(後編)
発情時期を正確に把握するために
そもそも乳牛は、人間と同じ哺乳動物であるため、乳牛がミルクを出すためには雌牛の妊娠・出産が必要となります。そのため、酪農家は、乳牛の発情時期を正確に把握することで、人工授精で繁殖させ、年に1回、子牛を出産させることで、安定的な生産量が確保できます。
行動観察と記録することの重要性
しののめファームでは、乳牛の首にセンサーをつけ、発情を検知するようにしていますが、あくまで目安であり、より正確な情報を得るには、やはり、毎日の丁寧な乳牛観察が酪農家の仕事として大切になってきます。
発情時に乳牛は、普段と異なる行動を見せます。「乳牛の叫ぶような鳴き声」、「隣の乳牛に下顎を擦り付けて乗っかろうとする行動」、「搾乳時に餌ではなく前田さんを見ながらソワソワしている様子」などの発情を感知する行動は、センサーで把握できない情報です。
また、記録管理も欠かせません。雌牛は出産後、約1か月で子宮が回復し、2か月後に発情となるため、出産日や前回の発情時期などを常にホワイトボードに記録しておいて、一目でわかるようにしています。
雌牛への受精50日後に安定期を迎える
また1回目の発情で受精するのが理想的ですが、そうでないこともしばしばあります。その場合、次の発情を待ちますが、ボーダーラインとして前田さんは3回目までは繁殖を待つようにしたいと考えています。3回目でも難しい場合は、獣医師の診断を仰ぎ、繁殖しやすい手立てを講じる予定です。
基本を忘れず妊娠率の向上を目指す
今後は毎年、10頭は後継牛を確保したいと考えているため、妊娠率の向上が目標になります。そのためには良質の餌を与えることで栄養管理をし、牛舎で快適に過ごせるように環境を整えていくことが何よりも重要です。
そして日々、乳牛を細やかに観察し、その様子を記録していくことが、基本の姿勢であることに変わりはありません。
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執筆:松原明子(オフィスラ・ポート 代表)