東日本大震災における酪農乳業界の活動

東日本大震災で被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。
このページでは酪農乳業界が行った、被災地に向けた牛乳、乳製品の物的支援について紹介させて頂きます。

こんな取り組みをしました

育児用調製粉乳の供給
小さなお子さんの栄養状態を改善、健康を維持するために、自衛隊の協力のもと大量の育児用調製粉乳を被災地へお届けしました。
乳業メーカーからの製品供給
日本栄養士会との連携なども含め、支援物資を被災地へ提供しました。

牛乳供給活動

震災被災地に対する緊急的な牛乳供給活動に関する現地調査レポート

 被災地に対して牛乳供給の支援を行いました

Jミルクでは、昨年3月11日に発生した 東日本大震災を受け、 2011年6月8日から2012年1月31日の期間に被災地に対して 牛乳を緊急供給いたしました。この事業は、明治、森永乳業、雪印メグミルクの各乳業メーカーならびに現地の牛乳販売店の協力を得て実現したものです。 

対象となったのは、被害が大きく、交通網が寸断されたために支援物資が届きにくかった宮城県牡鹿郡女川町と本吉郡南三陸町でした。 
この取り組みにより、累計で18万6576本(内訳=LL牛乳 200cc・250cc)の供給を実現。

今回の牛乳供給の効果について、栄養士、保健師、牛乳配達担当、避難者などそれぞれの立場の方からいただいたお言葉をご紹介いたします。

牛乳配布プロジェクトについて

被災地における牛乳配布プロジェクトについて、それぞれの立場からいただいたお声を紹介させて頂きます。

日本栄養士会の活動

迫和子専務理事

震災の発生から4日後の3月15日に災害本部を設置しました。従来の震災に対しては、義援金などのサポート活動を中心に被災地支援活動を行ってきました。
しかし、「千年に一度」と言われる今回の震災については、視察も含めて被災地の栄養士会と綿密な連絡を取り、詳細な状況把握を徹底しました。その結果、牛乳をはじめとする食料や物資、人的派遣支援など広範囲にわたる支援活動を開始したのです。

当時、女川町では弁当供給のスタート(5月)までの約2カ月間にわたり、1日2食の生活(おにぎり2個・菓子パン)が続いていました。野菜や肉類・魚類などの供給がほとんどなく、質よりも空腹を満たす炭水化物中心の食事でした。タンパク質やビタミン、ミネラルなどが不足し、特に高齢者や乳幼児などの弱者の栄養状態が悪化していました。

Jミルクとの連帯で「牛乳の配給」を6月からスタート。栄養補給だけでなく、多くの人々が通常の生活の中で抱いていた牛乳のイメージ(「おだやかな朝の風景」「ほっとする」「優しさ」)などを活かした「心の支援とケア」に役立つように、配給の方法にもこだわりました。

また、現地の牛乳販売店の協力を仰ぎ、避難所へ朝一番で配達し、震災前に飲んでいた「冷たい牛乳」を供給することに努めました。

避難所が閉鎖された11月末以降、仮設住宅へのサポートとして定期的に行っている食生活の指導や栄養に関する講義集会でも「牛乳供給」が行われております。

宮城県栄養士会の活動

石川文子会長

私たちの活動の拠点となっていた事務所も震災の被害にあい移転を余議なくされたほか、これまで培ってきた被災地支援のノウハウなどが通用しないほどの大きな震災だったため、厳しい状況は続きました。

そんな中、4月から被災地に栄養状態の実態調査に入り、各種食料品の入手が難しく栄養が不足していることを確認しました。また、現地にどんな食材があるのかをチェックし、「献立」を考えて食事を供給したほか、仮設用の調理場を作り食中毒を防止するなど、衛生面の改善も行いました。

今回「牛乳供給」を行った女川町、南三陸町は漁業が盛んな地域で、日常的に食していた魚を食べたいという要望が根強くありましたが、生鮮食品の入手は困難を極めました。そんな中で、「牛乳供給」は栄養バランスの補給という面だけでなく、被災者にとって復興へ向けた「日常性」を感じとることができる食品として役立ったほか、精神的・肉体的な疲労やストレスから食事が喉を通らず、食欲がない人にも手軽に飲める健康食品として活用されたのです。

今後は仮設住宅へのサポートが重要となります。中でも、独居高齢者への栄養指導や食生活の支援が課題となっており、食を通じて心のケアも支援できるようにサポート体制を継続していく予定です。

健康管理指導・避難所の食事管理

女川町健康福祉課(保健センター)技術補佐・佐藤由理さん(保健師)

女川の町役場も津波被害にあい、インフルエンザ対策などに使用するマスクなどの衛生品や食品もすべて流出し、ゼロからの支援活動となりました。

避難所での最初の食事は、「スープの上澄みと笹かまぼこ」。1週間この状態が続き、2週目に入ってやっとパンやおにぎりが配給できるようになりました。1000人以上の避難者を受け入れていた総合体育館でもあり、自衛隊による炊き出しや、支援物資に頼らざるを得ませんでした。

その後、菓子パンの食事が続く中で、"女川町は「糖尿病の町」になってしまうのではないか"という強い不安感と危機感にさらされました。変化のない食生活により糖尿病や高血圧症、肥満などの生活習慣病を引き起こされるだけでなく、食欲不振や免疫力の低下などの問題も浮上したのです。そんな中、徐々に必要な食料が届くようになり、ビタミン強化米への切り替えや「牛乳の供給」で不足した栄養を補うことができるようになりました。

今回の震災を通して、「食べることは生きることそのものである」ことを再認識しました。食事は必要な栄養を補給する役割だけでなく、「おいしさ」や「楽しみ」などの"喜び"を与える役割を担っていること、そして生きる気力やパワーを生み出す役割もあるということを実感しました。

栄養管理指導

食事管理 - 1 ——女川町保健センター・栄養士・今野恵美子さん

約2500人の避難者の栄養指導と食の管理を担当しました。最初の1週間はほとんど食べるものがなく具なしの汁物で過ごし、2週間目から菓子パンとおにぎりの2食に。
4月に入って明治の販売店さんから牛乳を週1回のペースで供給して頂き、タンパク質やミネラル、ビタミンなどの不足栄養素を補うことができました。

また、6月以降にJミルクから長期的な供給を頂けたことが、栄養改善の意味で大きな支援となりました。
パンを食べるにしても飲み物がないと飲み込めない状態の高齢者もいましたし、食生活の改善という点でも牛乳は大きな効果をもたらしました。

今回、痛感したことは、災害に見舞われてから各避難所を回って指導しても、その知識を浸透させるのは困難である。今後は食生活の指導や生活習慣病予防に関する講座などを開いて、町民の皆さんが基本的な食の知識を持てるようにしていきたいですね。

食事管理 - 2 ——女川町保健センター・栄養士・景山琴望さん

震災から1カ月後の4月に女川町の臨時栄養士として採用され、避難所の食事管理を今野さんと共に担当しました。現在は、食生活支援事業で仮設住宅の食管理や栄養指導に携わっており、集会所で開かれる講座の時にも牛乳を参加者に配布しています。

避難者からは「食欲がなくて食べられない時でも、牛乳なら手軽に飲めるし栄養もとれる」という声を聞くことがあります。

皆さんにとって「牛乳」は大切なものなのだと、改めて見直しています。
また、牛乳を通して食の大切さを実感することができました。
今後も皆さんのご協力を仰ぎながら、状況の改善に取り組んでいきたいと思います。

支援物資と配給

支援物資担当——女川町商工観光課・高橋弘課長補佐

最初は町立病院のサポートを、その後、避難所の食事配給係を担当し、4月中旬からは全国から届けられる支援物資の管理を担当しました。当初、女川町は交通が遮断されていたため物資がなかなか届かず、その後食事として配給したパンに関しては、本町までの配送に時間を要したため賞味期限ギリギリということも多かったのが実情です。

「牛乳供給」は、4月からメーカーさんのご協力で必要な数を週単位で配給して頂きました。また、6月以降はJミルクから毎日、安定的かつ長期的に配給して頂けたので大変助かりました。食料事情が大変厳しく、全員に渡す数が揃ってないと不満が出る状況の中で、数が揃っていたことはありがたかったですね。また、牛乳の供給は避難所閉鎖まで継続されたので、供給期間に関する不安や次の供給先を探す必要がなく、被災者や職員に安心感を与えました。
配給担当——女川町教育委員会生涯学習課・清水章宏さん

震災以降8カ月間、災害対策本部の避難所班として活動しました。被災者へ直接、「牛乳」を渡す配給係も担当しました。

「牛乳の供給」などを受け入れる時には、まず、避難所までの配達システムを構築するのが大変でした。避難所から石巻まで出勤する人の中には、朝6時に出かける方もいたので、8時の配膳だと間に合わない状況だったりしたためです。

牛乳に関しては、牛乳販売店の方々のご協力のおかげで配給がスムーズに行われ、きちんと8時前には届きました。常温保存が可能な牛乳を供給して頂いたため、朝食時間前に出勤する人にも翌朝に配布することができ、それぞれのケースに合わせた対応ができました。

牛乳供給

配達担当 - 1 ——若柳配送センター 阿部茂利さん

石巻市の約6割の建物が倒壊及び津波の被害を受け、電気や水道などのライフラインが復旧したのは震災から約2週間後。ガソリンなどの燃料の補給も不足していたため、牛乳の配達が可能になったのは震災から1カ月後のことでした。4月1日から1週間に1度の割合で牛乳の無償配給を開始しました。ライバル関係にある他メーカーの牛乳販売店とも、設備を共有して使用するなどの助け合いが生まれました。

宅配の一番のメリットは、継続して「習慣化できる」こと。続けていくことで、日々の健康を維持できます。宅配する時には被災者の方に必ず一声かけて、可能な限り会話をしています。精神的なストレスを緩和することにも多少の役には立つのではないかと考えています。

牛乳供給・配達担当 2 ——若柳配送センター 佐藤宗久さん

被災地に対して牛乳、乳製品などの物的支援を行っております。

この事業では、避難所生活の中で少しでも日常の生活を味わって頂くために、「朝の配膳に間に合うよう届けてほしい」と要望されました。単に牛乳を届けるだけでなく、避難者の心を和らげようという温かい気持ちに感心したことを覚えています。避難者の皆さんからも「牛乳を飲めるようになって感謝している」という言葉を頂き、牛乳のすばらしさと宅配という仕事のやりがいを再認識しています。

現在は、仮設住宅を巡回しています。配達することで一人住まいの方の安否確認にもなりますし、毎日顔を合わせていれば健康状態も分かってきます。女川町の栄養士の方々たちとも連携を図り、今後も可能な限り協力していきたいですね。

総合体育館の避難者の方

老人クラブのリーダー研修会が開催されていた生涯教育センターで震災に遭遇しました。津波から避難するために、高台にある女川町総合体育館へ。その後、11月の避難所閉鎖まで生活を続けました。

被災前は牛乳嫌いだったのですが、「コーヒーや調理に使うと飲めますよ」という指導を受け、それを続けているうちに飲めるようになりました。現在では牛乳が大好きです。骨粗鬆症などの予防のためにも、牛乳嫌いが改善されたのは大きなことだと感じています。

牛乳が配給されるようになったのは、肉体的にも精神的にも疲労がピークに達していた時期だったので大変助かりました。震災前から牛乳が大好きだった私の夫(80歳)は、「何もかも嫌になってやる気がしない」、「もうだめだ」と言っていたのですが、毎日牛乳が飲めるようになって元気を取り戻したんです。仮設住宅に移ってからも、オカラのコロッケに牛乳を入れたり、パンケーキの粉に牛乳を練り込んだり、栄養バランスが取れるように工夫して牛乳を活用しているんですよ。

また、「おいしい!」と言いながら牛乳を飲んでいる子供たちに、「牛乳、好きなの?」と話しかけたり、歳の近い方々には「骨が丈夫になって、健康にもいいから牛乳は飲んだ方がいいよ」と声をかけ合ったりすることも。牛乳がきっかけで被災者の皆さんと交流出来たことも、良かったことの一つです。

被災地レポート

Jミルクや日本栄養士会では物的支援をするだけでなく、現地での人的支援を行いました。
現地のスタッフや被災者の方から届いた、牛乳の供給に対するさまざまな声をレポートします。
牛乳販売店店員の方

「わたしの店も震災による大きな被害を受け、牛乳を販売することに意欲を無くしていました。しかし、支援物資として牛乳を届けたところ、本当に多くの方に喜んでもらえたんです。仕事を続ける意義や意欲をあらためて感じています」
 南三陸町で被災された方

「身内に子供や高齢者を抱えているので、サプリメントや薬とは違う形で栄養が補給できるのがうれしいです」

「震災前には当たり前のように飲んでいた牛乳が飲めることで、“日常”が近くなってきてほっとしました」
仙台市内で活動する栄養士の方

 「現地では調理などを行うボランティアスタッフにも疲労がたまってきています。被災者の方を優先して自分の食事は少なめに…という方も多かったんです。牛乳を1本飲めるだけで、そういったスタッフの元気が回復しているのが分かります」
Jミルク職員から

「各乳業メーカーの現地支店では、牛乳供給事業に関する打ち合わせが行われました。日本栄養士会による趣旨説明と、協力依頼を受けるためにさまざまな関係者が集まりました。それぞれが、“牛乳に何ができるか?”ということを真剣に考えていらっしゃいます」