ミルクバリューチェーン 特集2
有限会社戸田乳業(埼玉県秩父郡)
新常態で変わる地域の暮らしとミルクバリューチェーン

j-milkリポートvol-37より

ミルクバリューチェーン 特集2

戸田 喜裕 氏(有限会社戸田乳業 代表取締役社長)
吉田 恭寛 氏(吉田牧場 代表)
前田 浩史(Jミルク 専務理事)

本誌では、埼玉県西部の山村地帯・小鹿野町を拠点とする有限会社戸田乳業の取り組みを、戸田喜裕氏(代表取締役社長)にお聞きしました。同町の酪農家で戸田氏とも親交の深い吉田恭寛氏(吉田牧場代表)をまじえた座談会では、ニューノーマル(新常態)の定着により、地域の人々のライフスタイルや、酪農乳業の価値はどう変わっていくのかを議論しました。
  • 父の代から続く友人関係の両氏。「こんなに親しい生産者と乳業者はめったにいないはず」と吉田氏。

町ぐるみで子どもたちを支えた“地域版フードバンク”

前田浩史(以下、前田) 新型コロナによる休校措置で学校給食がなくなった子どもたちに対して、小鹿野町では地域の皆さんが連携してお弁当の提供などを行ったそうですね。

吉田恭寛氏(以下、吉田) 小鹿野町は学校給食が完全に無料でして、その点は手厚いのですが、だからこそ親御さんからは「休校になって昼食の準備が大変」という声が上がったようです。それを耳にした宿泊施設の料理長さんなどが、みんなで支援しようと呼びかけたと聞きました。

戸田喜裕氏(以下、戸田) 関東近県の年収比較を見ると、埼玉県でもこちらの地域はやや低めです。しかし子どもの教育費に大きな差はないので、どうしても共働き世帯が増えていく。遠方の職場まで車で通勤する家庭も多いため、子どもたちの食事の世話は大変です。

吉田 昔のように二世代、三世代で住んでいる家族は少なく、おじいちゃんやおばあちゃんも今は仕事を持っている人もいますし。

前田 そこで観光客の減った宿泊施設の方々が動いたということですね。そのときに牛乳も供給できたのですか。

戸田 はい、先にお弁当のサービスが始まって、せっかくなら牛乳も一緒に配布してくださいとお願いした感じですね。町内6、7カ所、あと幼稚園や保育園にも配膳場所を設置して、お弁当と牛乳を受け取りにきてもらいました。

前田 Jミルクも国の支援を受けて牛乳の無償提供事業を行いました。本当に急ごしらえの体制での実施でしたが、現場はどういう感じでしたか。

戸田 病院や介護施設の入所者の方には普段から給食でお持ちしているのですが、今回は町役場から施設側にアナウンスしていただいたこともあり、特に職員の方々にかなり喜んでいただきました。しかし提供対象が一気に広がると配送ができなくなるので、皆さんに取りにきてもらう形にしました。

前田 無償配布をやってみて明らかになった課題が配送なんです。大きな乳業者さんほど小口配送の態勢を持っていないし、委託先の業者さんも対応できない。だから需要はあっても届けられないということが全国各地で起こりました。
海外のフードバンクなどは拠点方式で、そこへ食生活に困っていらっしゃる方々が取りに行くらしいです。それが日本ではまだ発達していないので、今回のように社会的な需要があり、われわれにも供給したい気持ちがあるにも関わらず、マッチングができない。今回の事例は教訓になりました。その点、小鹿野町の拠点方式はいいアイデアで、これもある種のフードバンクと言えますね。
  • 製造中の商品について解説する戸田氏。

身近な乳業メーカーの存在を地域の人々に知ってほしい

吉田 配布という点で僕が注目したのは、ファストフードのドライブスルーなんです。自粛期間中もすごく混んでいて、家族用のまとめ買いが多いですから、そこで牛乳を5本とか10本無料で配ったら、きっと喜ばれるし消費も伸びるだろうなと。これはチャンスかなとちょっと思いました。

前田 お店も自分たちの地域を意識していれば、身近な乳業メーカーさんや酪農家さんに目が行き、地元の牛乳を利用しようと考えます。その意味では、地域と結びついた多様なチャネルをどうつくるかがポイントかもしれませんね。

吉田 今回は多くの方から、「牧場は大丈夫?」とか「大変だね」と声をかけられました。消費者が酪農家を見てくれるのは大変ありがたいのですが、うちは指定団体があるので牛乳は毎日持って行ってもらって、廃棄も出なかったのです。むしろ一番大変なのは、戸田乳業さんのような地域の乳業会社です。牛乳の無償提供が、地元の乳業メーカーの存在への気づきにつながるといいなと思いました。

前田 全国的にも酪農支援に対しては世論の後押しがありました。これはまさに、吉田さんのような酪農家が消費者への啓発活動を続けてこられた成果だと思います。
サプライチェーンの川上にいる酪農家の姿がみんなに見え始めて、「いま困っているのでは」と想像できるようになってきた。また、戸田乳業さんもそうだったように、地域と結びついた乳業会社に対しても、みんなの目が向き始めたのはよかったと思います。今回のことを通して新しい変化が起こせるという印象も持ちました。
新型コロナが地域の人々の意識や生活に与える変化についてはどんな印象を持たれましたか。

吉田 ライフスタイルは変わっていく気がします。特に印象的だったのが、3月、4月に堆肥がすごく売れたことです。
この時期は一般家庭が畑を始めるシーズンで、今年は若い世代も家で過ごす時間が増えたこともあり、野菜づくりに取り組む人が多かったようです。自分たちで食べるのだから、安全でおいしい有機栽培に近い形でつくろうと。そこで、お隣さんが堆肥を入れているのを見て口コミで広がったようですね。農機具屋さんも、展示品の中古機具がすぐに売れると話していました。

新しい生活様式が食料や農業に目を向けるきっかけに

前田 これまでは県内の都市部や東京に通勤していた人たちが、テレワークで家にいるようになると、地域の生活が変わるわけですよね。

吉田
 変わると思います。僕は町の農業委員なので、みんなで草刈りをしたり、畑仕事をしたりして、農地をきれいにしてくれるといいなと思っています。
耕作放棄地が増えるとイノシシやシカなどが出てきますし、農作業を通じて地域の農業を大切に思う気持ちも生まれるでしょう。他の地域ではこんな農産物が余っています、高級魚がありますといった情報を見て、買って支援しようという動きも出てくるはずです。そういう面では、人々の目が食料や農業に向くのはすごくいいチャンスだと思います。

戸田 秩父地域は東京から電車で1時間、車でも2時間圏内なので、都市の過密を避けつつテレワークをする場所としてはいいところです。都市部から人が移動してくることによって、地域経済も持ち直してくれるのではないかという期待もありますね。

吉田
 うちの町は移住を推進しているけど、なかなか結果につながらなかった。秩父地域でも小鹿野は鉄道のアクセスが良くないのがネックと言われてきたのですが、毎日通勤する必要がなくなれば、さほどの弱みにはならないかもしれない。そこでわれわれに必要なのは、移住を希望する人たちが田舎にどんな暮らしを求めていて、何を必要とするかを考えて、提案していくことだと思います。
例えば、ここではこんな野菜が採れる、ここではお米が採れる、ここに牛がいて牛乳はここで製造されると伝えることは、地域で暮らす安心につながるでしょう。
あるいは、せっかく小鹿野に住むのだから、畑や米づくりをやりたいと考えている人たちには、農業を教えてくれる人が身近にいることも魅力になるはずです。水田も10町歩規模ではできないけれども、家族みんなで田植えをして、バインダーで稲刈りをして、天日干しをしてというのをやってみたい人はいるはずですから。

前田 それは農村側から提案したほうがいいですよね。多拠点化で仕事場所をどこにでも持つことができるようになれば、多くの人は日常的には豊かなところに住みたいと思うはずです。例えばパリ、ロンドンなどでは3割の人が農村地帯への移住を考えているといいます。
その点、テレワークを支えるデジタル環境が整備された、都市近郊の農村にはチャンスですし、農業という産業にとってもチャンスです。特にこの地域は、お米や畑を生産性の高い状況でやれるところではないから、畜産や酪農が大きな意味を持つことも知ってもらえます。
ではまとめとして、Jミルクの活動に対する要望や期待をお願いします。

酪農家と乳業メーカーが、思いをひとつにできる場を

吉田 Jミルクは、僕らのような生産者と戸田さんのような乳業者が、同じところで話ができる唯一の場所だと思っています。指定団体制度があって酪農家と乳業メーカーとの間には距離があると感じますが、消費者の目から見ると、両者は同じ関係者なんです。
普通の酪農家と乳業メーカーは、僕と戸田さんみたいな日常的なつながりはほとんどなく、日ごろから話をしたり、一緒に何かに取り組んだりすることが難しいと思います。ですからJミルクには、そうした点を支援する活動をやってほしいと思っています。

戸田 確かにそうですね。吉田さんと私は地元で消防団活動も一緒にやっていますし、お互いの父親同士も親しかった。私は他の乳業メーカーに勤めていたことがありますが、当時は酪農家さんとの付き合いはほとんどなく、酪農家さんの考えや苦労を知る機会は少なかったです。Jミルクに橋渡しをしてもらって、お互いの立場を知り、いろんなことを考えられる場があるといいですよね。

吉田 先ほどもお話ししたように、新型コロナの件でも、消費者の目が酪農家に向いて励ましてくれたのはうれしいのですが、僕らの仕事は乳業メーカーがしっかり牛乳を買ってくれて、商品を届けてくれないと成立しないのです。
諸外国では牛乳離れが進んで、酪農や畜産は環境破壊だとする論調があります。日本でも今後そうした課題に取り組んでいくためには、僕ら酪農家と乳業メーカーが一緒になって消費者に訴えていく必要があるでしょう。
そうしたとき、お互いの距離が離れてコミュニケーションが取れないことは、双方にとってデメリットになります。僕は今のままだと、「自分たち生産者ばかりが苦労して、乳業メーカーだけが儲けている」と考える酪農家が増えていく気がするのです。そうならないためにも、お互いを知って、協力できることは一緒にやって、業界を守っていく。共にがんばる仲間であるという一体感を持つことが大事だと思います。

前田 多くの消費者は、酪農家は小さな家族的経営、乳業メーカーは大きな企業経営というイメージを持っていて、「だから酪農家さんは大変だ」という感覚があるのです。しかもその感覚は消費者だけでなく、酪農家の中にもある。したがって、乳業メーカーのさまざまな経営努力を、酪農家にも理解してもらうことが一番の課題だと私は考えています。
安全・安心な商品を届けること、雇用の安定、需給調整といった諸課題に取り組む乳業メーカーの姿が、現場の酪農家さんからもよく見えるようになると、消費者も酪農乳業という産業のことをさらに理解してくれるので、そこは大きなポイントです。
そうした環境づくりはまさにJミルクがやらなければいけないことですし、このような議論が一緒にできる場をつくることも必要です。今回のお話を関係者に読んでいただいて、同じように感じてもらえれば幸いです。本日はありがとうございました。
  • 秩父地方産の生乳を使用した牛乳。