ミルクバリューチェーン (株)湯田牛乳公社と酪農家の取り組み(岩手県西和賀町)
ミルクバリューチェーン
『牛乳公社と酪農家の手で地域社会を未来へつなぐ』
戦後の入植開拓から始まる 西和賀町の酪農の歴史
前田浩史(以下、前田) この特集では毎回、各地の事例を紹介しながら、「ミルクバリューチェーン(価値の共有化)」という考え方を提案しています。
価値の共有化とは、商品に埋め込んだ価値をサプライチェーンに関わる人々が共有し、消費者にも訴求していくことです。
地域で酪農乳業を営む目的が、身近な社会や酪農の安定(持続可能性)にあるとすれば、商品に込めるべき価値の源泉は、地域の社会や酪農そのものにあるはずです。
では、そもそも地域や酪農の価値とは何なのか。どうすればそれを商品や事業に反映できるのか。こうした基本的な課題を整理することが、バリューチェーンの構築・運営においては重要です。
今回は岩手・西和賀町の酪農乳業に携わる皆さんをお迎えして、地域の持続可能性に貢献するミルクバリューチェーンのあり方を考えてみたいと思います。まず町の酪農の歴史を南川さんにお聞きします。
南川守 氏(以下、南川) 西和賀町は、旧・湯田町と沢内村が合併して2005(平成17)年に発足しました。私の家は沢内地区で、父が昭和 年代後半に入植して牛1、2頭から経営を始めました。
当時この地域では、小岩井農場から牛を借り受け、牛乳も小岩井さんに出荷する農家が多かったと聞いています。西和賀は海抜400メートル前後あるので、ここでやれる農業として酪農が推奨されたのです。いわゆる「結(ゆい)っこ」、みんなで助け合って酪農をやっていた時代です。頭数も徐々に増え、最盛期には10頭規模の農家が20戸ほどありました。その後、20頭前後まで規模拡大する農家がある一方で、後継者不足で離農する酪農家も出るようになりました。
中野学 氏(以下、中野) うちも戦後開拓で祖父が入植してきました。今、西和賀の酪農家は5戸で、私も含めて若手の後継者がいるのは半数ほどです。
地域の酪農経営の持続へ 共同出資による公社設立
溝渕郁夫 氏(以下、溝渕) 当社は1966(昭和41)年に、町と農協、酪農家、販売店の出資により設立されました。
その後のターニングポイントの一つが、湯田と沢内の農協合併(1975年)と、新設した工場でいわて生協さんのコープ牛乳の生産を開始したことです。公社設立以前から湯田農協は小さな工場を持っていたのですが、合併に際して生産者により収益を配分する体制を整えたいという思いがあったのだと思います。生協が大きくなると共に出荷量も増え、それまでの湯田地区に加えて沢内地区の酪農家さんからも生乳を受け入れるようになりました。
湯田町には古くから多くの鉱山があり、最盛期には人口が1万3000人に達していました。しかし、鉱山は徐々に廃山となり、最後に残った鉱山の操業終了が1976年頃ですから、当社の転換点は、農協合併や基幹産業の衰退といった地域社会の転機とも重なっています。
前田 湯田農協が小規模ながらも生産設備を持っていたのは、鉱業が盛んで人口も多く、飲用牛乳で売れる地元市場があったからだと思います。そうした環境が変化していく中で地域の酪農を安定させるためには、より大きな需要に対応できる工場を持つ必要があったということでしょう。
酪農家が参加してつくった地域乳業には、そういう歴史背景を持っているところが多いですね。生協さんと地域の酪農家さんがタイアップして共同で支え合うことができた時代です。しかしその後、牛乳の小売価格低下と共に経営が厳しくなるのですが、この時期はどうでしたか。
産直を重視する生協も支援 経営環境の変化を生き抜く
商品を通じたつながりだけでなく、地元生産者と消費者の直接交流も重視しており、コロナ前までは生協主催のイベントなどに西和賀の酪農家さんも参加していただいていました。
経営環境という点では、2000年に全農直販の指定工場として牛乳専用工場を新設したのですが、その直後に日本ミルクコミュニティへの再編が行われ売り先が減ったことがあります。ちょうどその頃が地域の生乳生産のピークで、飼料代が高騰する一方で乳価が上がらない厳しい時代でした。
前田 売り先が縮小する中でどう対応されたのですか。
溝渕 やはり牛乳だけでは厳しいということでヨーグルトを拡充しました。ヨーグルト自体は1986年から生協さんに供給していたのでノウハウはあります。10年ほど前から、今販売しているところと提携して新規の販路を開拓していきました。
酪農家の皆さんも公社の経営を心配してくれましたし、社員も諦めずに我慢してくれました。消費者の皆さんからの商品に対する評価は高かったので、どうして売れないのだろうという思いもあったのです。少しずつ販売が増えてきたとき、事業環境がいい方向に変わってきたねという話は社内でもしていました。
若い担い手を支援する 新たな経営形態も必要
溝渕 もともと当社では学校給食は一部の地域しか扱っていませんでした。周辺の乳業の撤退や廃業に伴って供給エリアを引き継ぐことで少しずつ増え、現在では売上の15%ほどを占めています。
前田 厳しい時代を生き残った地域乳業の多くに共通するのが、商品と販売チャネルの多様化、もう一つが学校給食です。
地産地消が原則の学校給食は固定的なマーケットです。その意味では地域の酪農家と乳業メーカーが、まさに地産地消を実践し、地域の子どもたちの食生活の基盤を担っていると言えます。売上比率は小さくても安定的であり、社会的な価値の大きさという点でも、ますます大切なマーケットになっている気がします。
次に、地域社会や酪農の現状と今後への課題をお聞きします。
中野 今の戸数で西和賀の農地を維持していくのは大変だと思うので、新たに人を呼び込んで会社組織をつくるなりして、酪農を通じて地域を守っていかなければならないと思います。
個人の農家ではできない仕事をみんなで分担することで、作業性という点でも有利になります。また、そうした拠り所になる組織が地域にあることで、よそから人が集まり、若い人も農業に関わりやすくなるのではないかと思っています。
南川 この地域での酪農はバラバラに経営をやっていては、今後厳しいと私も感じています。共同会社をつくって、そこに後継者が集まって一緒にやっていくような形態がいいのではないか。その方が仕事のやりがいも感じられるでしょうし、酪農仲間を増やすことにもつながるのではないかと思っています。
前田 北海道などでも農協が出資した共同会社で一緒にやる事例があります。国内の生乳生産を確保するためには、既存の酪農家にがんばってもらうことに加えて、新規就農も増やす必要もあります。酪農は装置産業でもあり、就農には大きな初期投資が必要ですから、その部分を農協や乳業会社が支援することでハードルを下げてあげるという取り組みですね。
一方で、24時間牛を管理する酪農を一般的な会社組織で運営するのは難しいので、適切な方法を研究する必要があります。先進事例として取り組むとさまざまな助成も受けられますし、そのノウハウを他の地域に広げるという意味でも、今後につながるいい話だと思いますね。
地域社会や酪農の持続可能性への貢献や、その課題を公社としてはどう考えていますか。
酪農家自身が参加する 地域乳業の強みを事業に
当社としては、地域の資源を生かした酪農と、そこから生産される生乳の価値を高め、商品を通じて消費者に届けることで地域酪農を支えていくという姿勢に変わりはありません。
課題ですが、西和賀町の人口は現在約5000人で毎年100人ほどの減少が続いています。雇用したくても地元に人がいない状況が生まれているので、情報を広く発信して人を集めなければならないと思っています。
前田 雇用の確保も地域乳業の多くに共通する課題ですね。ただ、コロナの影響で生活拠点を地方に移す動きもあるので、地域の魅力が雇用の確保につながる可能性もありそうな気がします。
湯田牛乳公社の今後の役割について、酪農家さんからご意見はありますか。
南川 湯田牛乳公社は私たち地域の酪農家と一心同体の存在ですから、今後もそういう方向性で進んでいってほしいです。また、生協さんを通じた消費者とのつながりは以前に比べると減りましたが、産直交流会とか生協店舗での交流といった機会は今後も大切にしてほしいと思っています。
中野 生産者としては、消費者の前に立って自分の言葉で酪農の魅力を伝えられる場は貴重です。酪農を知ってもらうことで、牛乳をもっと消費してもらうような活動をしていきたいですね。
前田 いまのお話は重要だと思います。地域の乳業メーカーは、商品をいかに販売して利益を地元の酪農家に還元するかという意識が強い。酪農家としてはそれも大事だけど、商品を通して自分たちの思いが実現できるとか、消費者とつながれるとか、別の部分にも大きな価値を見出しているのです。
各地の地域乳業の経営を見ていると、商系の乳業メーカーと同じビジネスモデルを選択したところはあまり上手くいっていません。これはある意味当然で、その分野は大手乳業の方が圧倒的に強いからです。
「酪農家が参加していること」こそが地域乳業のユニークさであり、その強みを生かした独自のビジネスモデルや商品を、酪農家さんと一緒につくれるかどうかが大きなポイントかもしれません。その第一歩として、商品を通してどんな価値を伝えていくかを酪農家とメーカーが共有することから、バリューチェーンづくりが始まります。
「地域を守る」酪農乳業が 再評価される社会環境に
前田 Jミルクの消費者調査によると、酪農乳業の産業的価値として最も支持されているのは、地域社会を守ること。具体的には、持続可能性を高める、雇用を生み出す、景観を守るといった点です。
まさに昭和30年代、地域社会や産業を守るために酪農家が一緒になって乳業を立ち上げた、「農協乳業」の原点に立ち返ったビジネスモデルを社会が支持する環境が生まれつつあります。こうした消費者の変化も、これからの地域乳業の事業を下支えしていくのではないでしょうか。
ではまとめとして、今後の抱負やJミルクへのご要望などを一言ずつお願いします。
溝渕 地元の自然に育まれた生乳、地元産の餌からつくった生乳が当社の事業の根幹です。その乳づくりを私たちも積極的に支援しながら、西和賀の自然を生かした産業を維持し、価値のある商品をお届けしていきたいと考えています。
南川 西和賀の酪農が途絶えることのないように、私たちも公社と一緒にがんばっていきたいです。
中野 Jミルクには各地域での新しい酪農の取り組みなど、情報を提供していただけたらと思います。
前田 同じような思いを持つ酪農家さんやメーカーさんが、一緒になって励ましながらがんばっていけたらいいなと思います。海外の酪農乳業も課題は同じですから、海外情報を知ることが新しいアイデアにつながることもあるでしょう。
例えば欧州では近年、チーズやヨーグルトなどの発酵製品を地元の乳酸菌でつくることを徹底し始めています。牧草の露の中のような身近な自然に存在する地域特有の乳酸菌を収集し、優れたものを選んで乳製品に利用するという地域戦略を行っているのです。そうした地域のすべての自然を生かした新たな製品が、皆さんの手で西和賀から生まれたら素晴らしいと思います。本日はありがとうございました。