食を科学的に理解する教育を -知識を活用して判断する力を育てる-

j-milkリポートvol-27より

J ミルクでは2014年、牛乳の風味に関する情報をまとめた冊子「牛乳は生きている」を制作し、学校現場などに配布している。
監修者の石井雅幸氏(乳の学術連合・牛乳食育研究会会員)に、食を科学的に理解し、判断する力を育てる教育の必要性について聞いた。

知識を活用して判断する、科学的リテラシーの育成

—— 先生のご研究と経歴と、現在の主要テーマをご紹介ください。

石井:
小学校教員時代から理科教育に関わっていて、大学に移ってからも初等教育における科学教育を研究してきました。最近のメインのテーマは、科学の暫定性理解の実態把握です。

トーマス・クーンが『科学革命の構造』でパラダイムという概念を提示した1960年代後半から、科学に対する考え方が大きく変わってきました。クーンが示したのは、科学的な知は、その時代の科学者集団が一定のルールを共有しながら創造しているものであるという考え方です。その意味で、科学は芸術と同様のクリエイティブな行為と言えます。

こうした考え方に基づいて科学教育を行うことは、子どもたちの創造性を高めることにつながるはずです。日本でも、子どもたちが科学を創造する、知を創るような学びかたに変えていく必要があると言われ始めています。

日本人は全般的に、科学的な知は上から与えられた絶対的なものという知識観があります。子どもたちも同様で、特に都市部の子どもほど科学的な知識を絶対的なものと捉える傾向があるように思われます。科学の暫定性という考え方は学年が上がると消えていく傾向が強く、低学年、小学校4年生あたりからこうした考え方を身につけてあげることが大切だと思っています。

科学の暫定性という視点から見ると、例えば子どもたちが実験や観察で得る知識も、自分たちが創り出しているものだと捉えることができます。与えられた条件の下で見出した知識は、それ自体が科学的な知であり、より精度の高い実験方法を採用するなど、条件が変わると知識も変わります。

このように背景の条件も理解したうえで知識を創り出していく。さらに、その知識を思考・判断の材料に使って自分の行動や生活を決めていくことが、市民の科学的リテラシーというものです。学校の理科でその素地を身につけることが、今後の科学教育のあり方だと思います。

ある程度の知識がなければ判断できませんから、知識の量は必要です。しかし重要なのはより多く知っていることではなく、知識を取捨選択し、使って、行動を決める力を身につけること。クリティカルに見て、この知識は使えるけど、この部分は使わないといった判断力をつける必要があるのです。学習指導要領でも、知識・技能だけでなく、思考力・判断力・表現力や「活用する力」の育成が強調されるようになったのには、こうした背景があります。

キャリア教育や食育につながる酪農の“仕事体験”

—— 酪農や乳に関わるようになって、どのような点に教育的な価値を感じていますか。

石井:小学校の教員時代に、酪農教育ファームを利用した実践に取り組んだことが、酪農や乳に関わったきっかけです。以前から教育における野外体験のあり方を考えていたのですが、酪農教育ファームに子どもたちを連れていって、牧場での教育活動の可能性を実感し、以後高学年を持ったときは必ず牧場を訪れるようになりました。

私が感じた牧場の教育的価値は、動物それもペットではない大型動物を飼育していることと、動物と関わる仕事をしている酪農家の存在です。牧場では子どもたちに働くことを体験させたいと考え、酪農家にとっては迷惑かもしれませんが、日々の仕事を子どもにさせてほしいとお願いしました。放牧している牛の健康管理とか、フンの始末や草むしりなどですね。

そうした仕事体験を通じて、家畜という存在に触れ、動物が自分の思い通りにならないことを知り、それを生業としている酪農家がいることを考えさせたかったのです。酪農教育ファームでの取り組みから、キャリア教育や牛乳乳製品を題材にした食育にまで実践の幅が広がっていきました。

子どもの判断材料になる知識を届けることが大切

—— 牛乳の風味に関する資料「牛乳は生きている」を監修された立場から、今後このような情報を学校現場にどう伝えていくべきとお考えですか。

石井:野菜や果物でも、産地や収穫時期が違うと風味が異なることはみんな理解して受け入れているのに、牛乳はわずかな風味の違いが問題視されやすいですね。その背景には、牛乳は工場でつくられ、味や成分も同じになるように調整されているという誤解もあるでしょう。

酪農家は日々こんなふうに牛の世話をしている、牛乳メーカーの工場ではこういう作業をしている。地域や季節によって乳牛に給餌するエサが変わる。牛の状態も年間を通して変化し、それらが風味にも反映される。そうした牛乳の風味に関する情報をまとめたのが「牛乳は生きている」という資料ですが、こういった知識を子どもたちに伝える場が必要です。

豊かな食を享受できる現代だからこそ、風味や見た目に敏感になることは大事だし、その知識も必要です。酪農家や乳業関係者と私たち研究者が連携して、牛乳の味や風味のことを伝える教材や学習プログラムをつくっていくことが大切だと思います。

いまの子どもたちには、五感を使う素朴な体験が不足しています。低学年の生活科などで、嗅覚や味覚といった感覚を働かせる場をもっとつくる必要があると思っています。味覚や嗅覚はある年齢を超えると働きが鈍くなってきますから、感覚を磨く体験を意図的に組み込む必要があります。

さらに高学年では、さまざまな情報や数値も材料に加えて判断する力を身につけていく。例えば牛乳の風味なら、いつもと違うから異常だ、飲まないと即断するのではなく、風味が変わる理由をきちんと理解したうえで、自分なりに判断する。そういった力を身につける学習が、小学校高学年や中学校では求められていくと思います。

こうした学習は教科の枠内ではできませんから、複合的な教育である食育に適した題材です。ところが、いまの学校現場で食育に多くの時間を割くのは難しいので、ぜひ、食料生産などの社会科(食料生産など)の教科の切り口でも取り上げてもらいたい。子ども向けの啓発資料や学校向けの教材でも、今後は社会的な視点をもっと取り入れていく必要があると思います。

学校現場のニーズを踏まえた教材化も必要

—— 乳の学術連合の活動にはどのようなことを期待されていますか。

石井:
食に関する指導を実践する上で、いま学校現場で求められている情報を、例えば「牛乳の風味とは科学的に説明するとこうである」というデータや情報を他の研究グループにリクエストして、必要な情報収集や研究を行っていただいた成果をもとに教材化したり、学校でどう指導するかを食育研究会が考えたりするといった連携もあると思います。食育研究会のメンバーは、牛乳乳製品そのものを研究している訳ではないので、いい意味で客観的な視点で伝えていくことができるのではないかと思います。

食品の匂いや味は、これまでの食育ではあまり扱われていないテーマです。味が好まれるのは体が求めているからだという考え方もあるように、味と栄養はつながっていると捉えることもできます。このあたりのデータを他研究グループからいただいて、教材化することはできないでしょうか。牛乳の栄養面と健康とのつながりの研究は先行していますが、牛乳の味についても学術連合で一緒に研究できたら面白いですね。

石井 雅幸 氏
東京学芸大学大学院教育学研究科修了。昭和56年から東京都公立小学校教諭、主幹教諭を経て、平成19年4月から大妻女子大学家政学部児童学科准教授。平成28年度より現職。主な研究分野は科学教育、教科教育学で、小学校における食育に関する指導法の開発も手がけている。