学校給食の移り変わり

「今日の給食は何かな?」 学校生活の中で、給食の時間は子どもたちにとって楽しみの時間となっています。
学校給食が、子どもたちの成長・健康に寄与していることはもちろんですが、家庭にもメニューの利用や牛乳の飲用機会の増加など大きな役割を果たしてきました。

はじまりは明治時代

1889(明治22)年、山形県鶴岡町で僧侶たちがつくった私立忠愛小学校において、貧困児童のためにおにぎり・焼き魚・漬物の昼食が無料で配布されました。これが学校給食のはじまりとされています。
1920(大正9)年、東京麹町小学校でわが国最初の牛乳給食が行われ、牛乳ビンからコップにあけてストローで飲んでいた記録があります。
しかし、大正から昭和にかけての給食は、おにぎりと漬物がほとんどで、貧困・虚弱児童を対象に行われていました。やがて第二次世界大戦がはじまり、食糧不足のため中断されました。

ミルク給食のはじまり

戦後、極端な食糧不足で飢えに苦しんでいた子どもたちに、小麦粉かミルクを援助しようとGHQ(連合軍総司令部)より申し出がありました。
どんなにおなかいっぱい食べても、動物性たんぱく質が不足すると身長が伸びないという当時のデータから、「小麦粉ではなく動物性たんぱく質のミルクを」という提案によりミルクの援助が決定しました。
これにより、アメリカの民間団体やユニセフから脱脂粉乳が寄贈され、22gの脱脂粉乳を180mlのお湯で溶いたミルク給食がはじまりました。

牛乳容器の変遷

脱脂粉乳を溶いたミルクは、大きなアルミのバケツで教室に運ばれ、杓子で1人分ずつアルミのお椀に注がれ飲んでいました。

牛乳の飲用がはじまると、180mlのビン容器になり、1970(昭和45)年からは200mlのビンになりました。
この頃から、紙容器の流通がはじまり、低学年へのビン牛乳の重量も考慮して、三角形のテトラクラシックタイプの紙容器に移行する学校が増えはじめました。

その後、四角のブリックタイプ、ゲーブルトップ(屋根型)などが利用され、今日にいたっています。
中学校では、250mlや300ml飲んでいる地域もあります。
容器別では、ビン牛乳が25.6%、紙容器が74.3%となっています。(平成23年度学校給食用牛乳供給事業概況:独立行政法人農畜産業振興機構)

2012年現在、ミルクのみの給食も含めると、給食実施校は、小学校で99.2%、中学校で85.4%となっています。(学校給食実施状況等調査-平成24年度結果の概要:文部科学省)

最近では、食堂やランチルームでバイキング式の給食を楽しむ学校も増えてきました。和食・洋食・中華などメニューも豊富になりましたが、牛乳だけは変わらないおいしさを提供してくれています。せっかく学校給食で習慣化した牛乳飲用を、生涯続けてほしいものです。