1889(明治22)年に始まった学校給食は、時代にほんろうされながら、独自の進化をとげてきました。
時代背景に合わせて多様化してきた学校給食の歴史を紹介します。
学校給食いまむかし
時代に翻弄された歴史
1889(明治22)年、山形県鶴岡町の私立忠愛小学校で、貧困児童を対象に昼食を与えたのが日本の学校給食の始まりといわれています。しかし本格的な学校給食は、戦後になってからのことです。
1949(昭和24)年には戦後の食料難にあえぐ日本にユニセフからミルク(脱脂粉乳)が寄贈され、その翌年にはアメリカから大量の小麦粉が寄贈されました。これにより、パンを主食とした完全給食の素地が出来上がりました。
当時の学校給食は世論の絶大な支持を得ていたようで、1947(昭和22)年時点でわずか23%だった実施率は、その後4年ほどで69%に達するなど、急速な広がりを見せます。
しかし1951(昭和26)年、アメリカからの贈与小麦粉が打ち切られると、財源を失った学校給食は再び中断することになります。
その後、学校給食への理解の深まりや保護者などからの強い要望を受けて、1954(昭和29)年に「学校給食法」が制定。時代に翻弄され続けてきた日本の学校給食は、ここに第2のスタートを切ります。
1949(昭和24)年には戦後の食料難にあえぐ日本にユニセフからミルク(脱脂粉乳)が寄贈され、その翌年にはアメリカから大量の小麦粉が寄贈されました。これにより、パンを主食とした完全給食の素地が出来上がりました。
当時の学校給食は世論の絶大な支持を得ていたようで、1947(昭和22)年時点でわずか23%だった実施率は、その後4年ほどで69%に達するなど、急速な広がりを見せます。
しかし1951(昭和26)年、アメリカからの贈与小麦粉が打ち切られると、財源を失った学校給食は再び中断することになります。
その後、学校給食への理解の深まりや保護者などからの強い要望を受けて、1954(昭和29)年に「学校給食法」が制定。時代に翻弄され続けてきた日本の学校給食は、ここに第2のスタートを切ります。
■いわゆる団塊の世代(1947~49年生まれ)が、小学生のころに食べていた献立の一例。食器はアルマイト製のカップとレンゲが主流、一部では先割れスプーンも使われていた。今では貴重品の鯨肉も、当時は安価なたんぱく源としてたびたび登場。
スタイルにこだわらない給食
1976(昭和51)年からは米飯給食が開始され、今なお人気献立の筆頭に挙げられるカレーライスも登場します。
このあたりから献立も一気に拡大しビビンバやリゾット、パスタなど、国際色豊かなメニューが各地で実施されます。
同時に、食器も従来のアルマイト製からポリプロピレン食器へと移行。
かつて「犬食い」を助長すると揶揄された先割れスプーンも徐々に見直しが図られ、献立に応じて箸やフォーク、スプーンなどを使い分けるようになりました。
80年代後半から90年代にかけては、ランチルームを利用したバイキング給食や別学年との交流食など、教室で一斉に同じものを食べるという従来のスタイルにこだわらない試みが目立つようになります。
そして21世紀、もはや栄養の摂取や改善といったことは第一義として語られず、食を通じた交流や地域への理解といったソフト面が重要視されるようになりました。
ここ数年は、生徒がお弁当か給食かを定期的に選択できる「選択給食制」など、給食と家庭の味がお互いに補完し合うものとして認識され始めています。
多様化していく学校給食——思い出の味を話題に盛り上がることは、次第に難しくなっていくのかもしれません。
このあたりから献立も一気に拡大しビビンバやリゾット、パスタなど、国際色豊かなメニューが各地で実施されます。
同時に、食器も従来のアルマイト製からポリプロピレン食器へと移行。
かつて「犬食い」を助長すると揶揄された先割れスプーンも徐々に見直しが図られ、献立に応じて箸やフォーク、スプーンなどを使い分けるようになりました。
80年代後半から90年代にかけては、ランチルームを利用したバイキング給食や別学年との交流食など、教室で一斉に同じものを食べるという従来のスタイルにこだわらない試みが目立つようになります。
そして21世紀、もはや栄養の摂取や改善といったことは第一義として語られず、食を通じた交流や地域への理解といったソフト面が重要視されるようになりました。
ここ数年は、生徒がお弁当か給食かを定期的に選択できる「選択給食制」など、給食と家庭の味がお互いに補完し合うものとして認識され始めています。
多様化していく学校給食——思い出の味を話題に盛り上がることは、次第に難しくなっていくのかもしれません。
■現在の小学生たちの献立。1976年以降に実施導入された米飯給食により、和洋はもとより中華やイタリアン、エスニックまで多彩なレパートリーが実現、デザート類も定番化した。95年前後からは食器類の見直しも図られ、献立によって箸やフォーク、スプーンを使い分けるようになる。
給食メニューの移り変わり
学校給食が始まった年の給食メニューは、おにぎりに塩ジャケ、お漬け物でした。メニューの変遷を追います。
1889年(明治22年)
1942年(昭和17年)
1947年(昭和22年)
1965年(昭和40年)
1976年(昭和51年)
1981年(昭和56年)
1989年(平成元年)
※献立の出典:独立行政法人日本スポーツ振興センター 年代別モデル献立資料
給食における牛乳の移り変わり
「脱脂粉乳」が懐かしいという方も少なくないと思います。いつの時代も学校給食の定番、牛乳の変遷をまとめました。
脱脂粉乳(ミルク) 1949(昭和24)年~
1949(昭和24)年、ユニセフからの寄贈で学校給食の定番&伝説メニューに。アルミ製の大きなバケツで教室に運ばれ、しゃくしで1杯ずつアルミカップに注がれていました。
委託乳(脱脂粉乳と牛乳の混合乳) 1964(昭和39年)~
1964(昭和39年)から約2年間、脱脂粉乳から牛乳への移行期にかけて導入されました。
ちなみに昭和39年の混合比率は牛乳3:粉乳7、翌年は牛乳と粉乳が5:5でした。
ちなみに昭和39年の混合比率は牛乳3:粉乳7、翌年は牛乳と粉乳が5:5でした。
びん牛乳(180ml→200ml) 1966(昭和41年)年前後~
1966年前後より導入、中身が牛乳(生乳100%)になったのは1970(昭和45)年頃。ふたを開けるのにちょっとコツがいるのと、給食当番で運ぶのが大変でした。
テトラ・クラシック(200ml) 1964(昭和39)年~
1964(昭和39)年の東京オリンピックで採用され、70年代以降急速に広まりました。
ただその形状から積み上げることが難しかったため、徐々に四角いタイプに取って代わられます。
ただその形状から積み上げることが難しかったため、徐々に四角いタイプに取って代わられます。
ブリックパック、ゲーブルトップ(いずれも200ml) 1980(昭和55)年~
1980年代以降に普及しはじめ、現在でも使用されているお馴染みの四角いパック。軽く保管性に優れ、運搬しやすい。
パック上部が屋根型のゲーブルトップも健在です。
パック上部が屋根型のゲーブルトップも健在です。
※変遷は必ずしも上記のとおりとは限りません。
j-milk magazine ほわいと2004夏号より
j-milk magazine ほわいと2004夏号より