現代モンゴルの市街地で人々の生活に乳文化を伝える市場の乳製品販売所

「あたらしいミルクの研究」2019年度

首都大学東京大学院人文科学研究科 寺尾 萌

研究報告「現代モンゴルの市街地における乳文化研究 モンゴル国オブス県、ウランゴム市中央市場を起点とした乳利用の調査報告」(寺尾萌)をもとに作成。
モンゴルといえば、広大な草原で遊牧民が家畜を飼って暮らしているイメージですが、現代の都市部では牧畜は行なわれていません。本研究では、モンゴル国北西部、オブス県(Uvs)の都市に赴き、モンゴルの伝統的な乳製品が都市部においてどのような存在であるのかを調べました。そこでは、都市近郊の牧畜民が作る自家製の乳製品 “草原の乳製品” が、市場の乳製品売り場を通して人々に親しまれ、また、人々は乳製品売り場で購入した生乳でヨーグルトを作るなど、都市生活においても乳製品作りの伝統が受け継がれていることがわかりました。

乳製品は特別な価値のある“白い食べ物”

 古くから人々が草原での牧畜を生業としていたモンゴルでは、独特の「乳文化」が生まれ、長く受け継がれてきました。乳製品は「白い食べ物(tsagaan idee)」と呼ばれ(乳の「白」が「清廉、潔白」な心を意味する)、家畜の恵みとしての特別な価値をもちます。そして、日常的な接客から冠婚葬祭などの儀礼や饗宴まで、さまざまな場で欠かせない食べ物として、家畜の乳から作られ、利用されてきました。その一方で、現代の都市環境では家畜の飼育が難しいため、都市で生活する人にとって乳製品は自分で作るのではなく、買ってきて利用するもの
になっています。それでも、乳製品の「清廉、潔白」という価値観は都市生活者の中でも生き続けており1)、乳製品は他の商品とは異なる特別な位置づけにあることがうかがえます。
 そこで本研究では、モンゴル国地方部の市街地における乳文化について知るために、都市の市場での乳製品の販売状況や、消費状況についてフィールドワークを行ないました。

都市郊外で牧畜が営まれるオブス県ウランゴム市

 調査を実施した場所は、モンゴル国北西部、首都ウランバートルから陸路で1,500km ほど離れたオブス県の中心都市ウランゴム市です。人口は約3万人、約8,500世帯が暮らしており、このうち約800 世帯が牧民(牧畜民)世帯です(2018 年現在)。市の郊外には市街地を取り囲むように牧草地が広がっており、牧民たちは郊外にゲル(モンゴル伝統の移動式住居)を建てて牧畜を営んでいます。また、牧民以外の人々はマンションや固定家屋、ゲルなどに暮らし、賃金労働に従事しています。
 市の中央市場では、食料品、日用品、衣料品、家電製品、ゲルなどさまざまな物が販売されており、「乳製品販売所」もあります。ここでは朝10 時ごろから夕方6 時ごろまで、女性を中心に11 名の仲買人がそれぞれの売り場をもち、近郊の牧民が現金収入を得る目的で売りに来た自家製の乳製品(「草原の乳製品」)を買い取り、市場の客に販売しています。今回は、この乳製品販売所における2018年8 月下旬〜9 月下旬の販売状況などを調べました。

乳から作り出される多彩な乳製品

 モンゴルでは、家畜から得た乳を余すことなく利用し、多様な乳製品を作り出す乳加工体系が伝えられています(体系は地域により異なる)。オブス県マルチン郡では、搾乳シーズンに入ると毎日ウシとヤギを搾乳し、非加熱攪拌による脱脂を経て、醸造乳酒(アイラク)、バター(シャル・トス)、蒸留乳酒(シミンアルヒ)、脱水した酒粕(アールツ)、それを乾燥させた乾燥チーズ(アーロール)へと次々と加工していきます( 図)。アイラクに加熱した乳を加えて脱水したチーズ(ビャスラク)や、乳を加熱発酵させたヨーグルト(タラク)を作ることもあります。
 こうして作られた乳製品が市場の販売所に持ち込まれ、仲買人が買い取り、客に販売します。売り場の主要な商品は生乳で、加えて日常的に取引されているのがアールツとアーロールです。アールツは脱脂した醸造乳酒を蒸留して蒸留乳酒を取り出した後に残った酒粕のことで、このアールツを薄くスライスして乾燥させた保存食がアーロールです。アーロールは、細長いものや型抜きしたもの、砂糖入りなどさまざまな種類があります( 写真1 、写真2 )。

販売所は、乳製品の取引を超えた意味をもつ場

 生乳は毎日仕入れており、契約した牧民が早朝に搾乳したウシの乳を毎朝売りにやってきます(夏季の場合)。生乳の価格は季節によって変わりますが、同じ地域内では同一価格であり、取引相手による違いはありません。また、乳製品の価格は乳の使用量と加工の手間を基準に決められています。調査を実施した夏季は搾乳量が最大となるので価格は安く、生乳1ℓの仕入れ値は800tg(約40 円)で売り値は1,000tg(約50 円)でした( 表)。
 この販売所では販売者たちの非功利的な態度、いわば「商売っ気」のなさが特徴で、仕入れ・販売の帳簿をつけていませんでした。販売者は「お金は毎日の生活に必要な分だけ得られればよい」「乳製品を作って売るのは清廉(tsewer)で素敵(goyo)なことだと考えている」と話します。乳製品が商業的価値をもちながらも、必ずしも利益重視では販売されていない様子からは、都市においても乳製品がモンゴルの牧民の「善良」で「豊かな心」の象徴として位置づけられているように思われました。
 また、乳製品販売所のバックスペースにはかまどが1台設置されており、販売者たちは毎日仕入れる乳の余剰分をヨーグルトに加工し、持ち帰り以外にイートインでも提供していました。このように、乳製品販売所はただ乳製品を販売する場ではなく、広い空間を利用して社会的なつながりがもたれる場であり、夏の恵みである新鮮な乳製品をめぐって、人が行き交い、交渉する場となっていました。

市場で生乳を購入し、自宅で乳製品を二次加工する

 一方、市場で乳製品を購入する消費者への調査からは、多くの人がスーパーマーケットで工場製の精製乳やヨーグルトを買うよりも、市場で生乳やローカルな乳製品を買って利用することがわかりました。「草原の乳製品」を利用するほうが素敵(goyo)だという価値観があるようです。また、来客や訪問のさい、二次加工のために市場で生乳やアールツを大量に購入し、お土産として自宅でヨーグルトやアーロールなどの乳製品を作ることもよくあります。家庭や親子で乳製品を二次加工することは、牧畜を知らない若い世代に乳加工のレシピを伝えるとともに、「母の味」の原体験となったり、「牧民の記憶」を想起させる機会にもなっているようです。
 このように、現代モンゴルの都市生活においても、乳文化は「乳製品を作る」という身体的な営みと密接に結びつき、息づいていると考えられます。そうした日々の営みを支え、「草原の乳製品」とのつながりを都市生活者に提供している乳製品販売所の存在は、生活に根ざした都市の乳文化を支えているといえるでしょう。
  • ※価格の単位はモンゴル通貨tg(トゥグルク)1円 = 約22tg(2018年8月当時)
(文献)
1)Thrift, Eric.‘Pure Milk’: Daily Production and the Discourse of Purity in Mongolia. Asian Ethnicity . 14(4), 2014, 492-513.

-「あたらしいミルクの研究」2019 年度 -

一般社団法人Jミルクと「乳の学術連合」(牛乳乳製品健康科学会議/乳の社会文化ネットワーク/牛乳食育研究会の三つの研究会で構成される学術組織)は、「乳の学術連合」で毎年度実施している乳に関する学術研究の中から、特に優れていると評価されたものを、「あたらしいミルクの研究リポート」として作成しています。

本研究リポートは、対象となる学術研究を領域の異なる研究者や専門家含め、牛乳乳製品や酪農乳業に関心のある全ての皆様に、わかりやすく要約したものになります。

なお、研究リポートに掲載されている研究内容詳細を確認する場合は、乳の学術連合公式webサイト内「学術連合の研究データベース」より研究報告書のPDFをダウンロードして閲覧可能です。あわせてご利用ください。
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研究報告書は乳の学術連合のサイトに掲載しています

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我が国における牛乳乳製品の消費の維持・拡大及び酪農乳業と生活者との信頼関係の強化を図っていく観点から、牛乳乳製品の価値向上に繋がる多種多様な情報を「伝わり易く解かり易い表現」として開発し、業界関係者及び生活者に提供することを目的とした健康科学分野・社会文化分野・食育分野の専門家で構成する組織の連合体です。