第9回 美食の町-リヨン-

連載コラム ミルクの国の食だより

コラム、「ミルクの国の食だより」の第9回をお送りします。
リヨンが「美食の町」と呼ばれるようになった背景について、今回はリヨンの地理や歴史などの視点からご紹介します。

リヨンに咲く桜!

春、桜の便りが聞かれるよい季節になりましたね。
リヨンは今年の冬は暖かく、桜も3月中旬には見ごろになりました。桜、フランスにもあるんですよ。
■リヨン市内でみつけた桜が咲く小さな公園
■桜と同じころ満開を迎えた木蓮の花

フランス第二の都市

さて今回は、私の住んでいるリヨンについて紹介します。
フランス第二の都市といわれるリヨン。その人口は、近郊を含め150万人で神戸市の人口と同じくらい。
ちなみに首都パリの人口は1,050万人で東京都の約1/10の規模。
フランス南東部に位置し、北部のパリと南部のマルセイユの中間くらいにあります。
お隣の国スイス、ジュネーブからも近い距離です。

ヨーロッパ有数の交易地

アルプス山脈を東に望み、フランスを代表する大河・ローヌ川(Le Rhône)とその支流・ソーヌ川(La Saône)の合流点に位置するリヨンは、北ヨーロッパと地中海の接点にあることからヨーロッパ大陸有数の交易地として発展しました。
紀元前に古代ローマ帝国の植民都市として建設され、16世紀にはフランスルネサンスの都として大きく開花した長い歴史を誇る町です。
二つの川が洗う町リヨンは、ローヌ川とソーヌ川によって三つの地区に分けられます。
ローヌ川とソーヌ川の中州が市庁舎などがある町の中心地区、ローヌ川東側は高層ビルが立ち並ぶ商業地区、そしてソーヌ川西側が旧市街地区となります。
■スイスアルプスの雪解け水を源流として地中海に注ぐローヌ川。右岸が商業地区

ルネサンス時代の住宅に今も暮らす市民

ルネサンス建築の影響を大いに受け、フィレンツェに似た雰囲気の旧市街。
石畳が残るこの古くて美しい町並みは世界遺産にも登録されています。
ルネサンス期、日本は安土桃山時代。そんな時代に建てられた住宅に今も市民が暮らしているからすごい。
この区域には、ほかにも円形劇場など古代ローマ時代の遺跡や、中世に建てられたロマネスクとゴシック様式の大聖堂、ルネサンスよりリヨンの繁栄を支えた絹織物業に関する建造物などが残り、町の発展の歴史を今に伝えています。
■リヨンが一望できるフルヴィエールの丘から旧市街を見下ろした風景
■旧市街の建物。まるで中世にタイムトリップしたかのよう

日本との交流の歴史

実は、日本とリヨンの間にも長い交流の歴史があります。
幕末から明治にかけてリヨンを訪れた日本人として、福澤諭吉、渋沢栄一、岩倉具視、中江兆民、永井荷風等が知られています。
また、明治初期フランスに初めて日本領事館がおかれたのもリヨン、そしてその時領事だった日本人の名の付いた通り(rue WAKATSUKI)が今でもあります。
リヨンが「絹の町」とよばれるのと同じく、若月領事は当時の日本を「桜と絹の国」に准え、日仏の親交発展に多大な貢献を果たした記録が残っています。
※このテーマは、次回に続きます。
管理栄養士 吉野綾美
1999年より乳業団体に所属し、食育授業や料理講習会での講師、消費者相談業務、牛乳・乳製品に関する記事執筆等に従事。中でも学校での食育授業の先駆けとして初期より立ち上げ、長年講師として活躍。2011年退職後渡仏、現在フランス第二の都市リヨン市に夫、息子と暮らす。