フランス人の食卓—パンは主食か? - 2

ミルクの国の食だより 連載一覧

コラム、「ミルクの国の食だより」の第85回をお送りします。前回に続きパンの話題です。貴族の食卓では、パンは皿の代わりとして用いられました。

中世時代、小麦のパンは少数派

確かにパンは長い間、ヨーロッパの人々にとって第一義的食糧でした。居住する地域で利用可能な穀物や種実を材料とし、いろいろな製法でつくられ、様々な文化において食物の同義語として解釈されてきました。

中世時代、多くの人々が食べていたのは小麦以外の穀物(大麦、オート麦、スペルト小麦、ライ麦)で作られたパンで、耐寒性に劣り栽培しにくい穀物とされた小麦のパンは少数派で王に取り置かれていたくらいでした。

キリスト教の流布に伴い、神聖な性質を帯びたパンは、宗教的および社会的儀式の象徴として存在するようになり、人々に普及していきました。
  • 中世時代の面影がそのまま残る南フランスの村

固いパンをスープやワインに浸して

農民の食事に穀物のお粥に代わってパンが登場したのは中世半ば11世紀以降のことです。
しかし当時は村に一つしかない製粉機やパン焼き釜は領主の管理下にあり、農民が使う際は使用料を支払わなければならなかったうえ、長時間並んで待たされたりと、パンの入手に大変苦労しました。

1~2週間ごとに焼かれた丸い平型のパンは一個5kgもあり、何日もかけて食べられるほど固いパンでした。

そのため、食べる時は野菜や肉を煮込んだ湯(ブイヨン)や、ワインに浸して飲み物と一緒に食べられていました。
野菜、豆、チーズ、バター、卵、肉もありましたが、その中で入手できる一品程度をパンの添え物(コンパナージュcompanage)として少し食べられた程度でした。
  • スープはもともと液体に浸してふやかしたパンのことをさしていた。穀物以外の食糧を入手するのが困難な時代、固くても粥に比べて腹持ちがよく保存性に長けたパンは重宝されたに違いない

トランショワール (tranchoir)とは

肉体労働をする農民や職人が必要なエネルギーのほどんどをパンに頼っていたのに対して、貴族たちの宴会では一人当たり1kg/日の肉が準備されるほど、食事の大部分をコンパナージュが占めていました。

そのような貴族の食卓でパンの最も有用な役割は、厚くスライスして敷板(トランショワール tranchoir)として使うことでした。
テーブルに直接載せて、その上に煮たり焼いたりした肉を置くようにしたのです。

食べ終わって、肉汁や脂が染み込んだままのトランショワールを食べる客もたまにはいたようですが、ほとんどは使用人に配られたり、施し物として貧しい人に与えられたり、飼い犬に投げ与えられたそうです。

裕福な階級の人々にとって、農民が食べるような固いパンは他にも、食卓で隣席者にナイフを手渡す時にナイフについた汚れをふき取るために、あるいは、共用の塩壺から塩を取り出す時にスプーンのように使われるなどし、お腹を満たすものというより副次的な役割を担っていました。
  • 書籍 Vivre au Moyen Âge -La France en 1400(中世時代の生活-1400年フランス) 1328年〜1589年まで続いたヴァロワ王朝における人々の生活を解説した書籍
  • クリスマスなどキリスト教祭典の大宴会の様子。パンを切って敷板として利用されていたトランショワール

パンは食卓で皆で分け合う食べ物

中世時代、何を食べていたかは社会階級によって大きく違っていましたが、パンはその性質上、食卓で皆で分け合う食べ物という共通認識がありました。

実際、農民にとってパン作りは、籾摺り、製粉、焼成までのすべてが仲間たちの協力なしでは成し得ない作業です。
また、貴族の食卓でも他の客人のために敷板を作ってあげることは礼儀だったといいます。

現代でも、フランスの食卓では必ずパンが出ます。
日本人の感覚からすると、パンが必要なさそうな献立の時でもパンはちゃんとおいてあります。
歴史の中で一つのパンをちぎって分け合い、絆を確認してきた象徴である故なのだと思います。
参考資料:Companage et banquet : les menus de la France d’Ancien Régime
(コンパナージュと晩餐会:旧体制下のフランスにおける食餌の献立)
https://sjdf.org/pdf/022-29-Sabban.pdf
※このテーマは次号に続きます。
管理栄養士 吉野綾美

1999年より乳業団体に所属し、食育授業や料理講習会での講師、消費者相談業務、牛乳・乳製品に関する記事執筆等に従事。中でも学校での食育授業の先駆けとして初期より立ち上げ、長年講師として活躍。2011年退職後渡仏、現在フランス第二の都市リヨン市に夫、息子と暮らす。