春を待ちわびる「マルディ・グラ」の伝統菓子 - 1

ミルクの国の食だより 連載一覧

コラム、「ミルクの国の食だより」の第88回をお送りします。今回はフランスのカーニバル「マルディ・グラ」のおはなしです。

春の気配を感じる2月のリヨン

立春が過ぎ、冷たい空気の中にもうっすらと春の気配を感じる2月のリヨン。

2月といえば、バレンタインデーがありますね。フランスでは恋人や夫婦同士でプレゼントを贈りあったりしますが、日本のようにチョコレートを贈る習慣はありません。

バレンタインデーに結びつく菓子もありませんが、同じ頃、それまでケーキ屋やパン屋に並んでいた新年の祝い菓子「ガレット・デ・ロワ」に取って代わって、登場する菓子があります。

フランスのカーニバル「マルディ・グラ(Mardi-gras)」を祝う、リヨンの伝統的な揚げ菓子「ビューニュ(Bugne)」です。

  • 2月はカーニバルの季節。カーニバルの最終日をフランスでは「マルディ・グラ」といい、卵、バターを使った揚げ菓子で祝う風習がある

フランスのカーニバル「マルディ・グラ」とは…

フランスの2月はカーニバルの季節。この時期には、好きな衣装やマスクをつけて はしゃぎながら登校する子どもたちの姿をよく見かけます。

カーニバルというと、日本ではお祭り、パレードといった意味で使われますが、フランス語でカーニバルはカルナヴァル(carnaval)と呼び、その語源はラテン語のカルネ・ヴァレ(carne vale)に由来します。

「 carne(肉)、vale(取り除く)= 肉よ、さらば 」
という意味で、カーニバル終了後に訪れるキリスト教の「四旬節(しじゅんせつ)」で肉食を制限することから、肉に別れを告げる宴のことを本来、カーニバルといいます。

四旬節前夜の火曜日(マルディ)、人々は節制にそなえて踊りや遊びを楽しみ、肉をたっぷりと食べ、バター、卵などの脂(グラ)を使った菓子で祝ったそうです。

厳しい節制期間の楽しみ「ビューニュ」

翌日から復活祭まで40日間続く四旬節では、私生活の節制に加え、食事は一日に一度だけ、肉・魚・卵・チーズ・バターなどすべての動物由来食品が禁止という厳格なものでした。

厳しい食事制限中でも楽しみを感じられるよう、16世紀にリヨンにあったサンピエール修道院の修道女によって 考案されたといわれるのが小麦粉と水にビール酵母を混ぜ、バラ水で香りをつけた菓子「ビューニュ」だそう。
  • 2月中旬ころからリヨンのパン屋やケーキ屋の店先に並ぶ揚げ菓子ビューニュ。節制の前日「マルディ・グラ」には、忘れずにまた来て欲しいという思いから、 肉屋の店先で客に振舞われたこともあるそう

今に至る伝統菓子

四旬節の厳しい節制は、時代の経過とともに緩和されていきました。
労働者や病人のために卵・牛乳・チーズが許可されるようになり、 中世後期にはオリーブ油などの植物油を生産できない地域ではバターの使用が認められるようにもなっていきました。また、裕福な人々の中にはバターを含む乳製品を消費する権利を教会から買った人もいたようです。

19世紀には40日間という長すぎる節制に耐えきれず、一時的に中断するためにフランスで四旬節中日が設けられ、マルディ・グラのような祭りを行うようになったそうです。卵の消費期限が約20日だったので、四旬節中日に菓子を作るのは無駄にならずに理にかなっていたともいえます。

リヨンのビューニュは町の職人にレシピが伝わり、バラ水に代わってオレンジ水で香り付けした揚げ菓子になりました。また、卵・バター・牛乳を加えたドーナツのようなビューニュも作られるようになり、今日では パリパリとした薄い生地のビューニュ と ふわふわの生地の二種類のビューニュ が「マルディ・グラ」を祝う菓子としてリヨンで親しまれています。

(次号に続く)
参考資料:
  • カーニバルの小さな歴史、四旬節、断食と禁欲
http://www.sklerijenn.org/IMG/pdf/Petite_histoire_du_carnaval_du_careme_du_jeune_et_de_l_abstinence.pdf

  • 味わう四旬節の伝統、ビューニュリヨネ
http://bistrotsdecuisiniers.com/fr/les-bugnes-lyonnaises-une-tradition-de-careme-a-deguster-toute-lannee/
  • リヨン市図書館司書による蔵書に基づくビューニュについての解答
https://www.guichetdusavoir.org/viewtopic.php?f=298&t=64440
管理栄養士 吉野綾美

1999年より乳業団体に所属し、食育授業や料理講習会での講師、消費者相談業務、牛乳・乳製品に関する記事執筆等に従事。中でも学校での食育授業の先駆けとして初期より立ち上げ、長年講師として活躍。2011年退職後渡仏、現在フランス第二の都市リヨン市に夫、息子と暮らす。