コラム、「ミルクの国の食だより」の第89回をお送りします。前回に続き、フランスのカーニバル「マルディ・グラ」についてお届けします。四旬節を終えたら春本番(復活祭)です。
冬から春への通過点を祝うカーニバル
カーニバルはもともと キリスト教とは全く関係の無い異教徒の祭典に起源を有しています。
古代ギリシアのワインの神を祝う「バッカス祭」、古代ローマの農耕の神を祝う冬至の「サトゥルナーリア祭」、春の訪れに豊穣と繁栄の神を祝う「ルペルカーリア祭」などに、その源を見つけることができます。
これらの祭りは季節と農業のサイクルに直接関係する土着的な伝統で、カーニバルは冬から春(死から生)への通過点を祝う行事になります。
太陽が姿を消し、凍てつく寒さで覆いつくす冬には、死者の霊や悪魔などが大挙して現れると考えていた古代の人々は、様々な衣装をまとい、仮面をつけて、冬の悪魔を追放するまで踊り明かしました。
食料の蓄えが少なくなる冬の終り、前年の収穫で残った小麦粉と、冬でも保存しやすかった卵とバターを使ってパンケーキやクレープのようなものを作って祭りを祝い、春の訪れを心待ちにして過酷な冬を耐え忍んだのです。
復活祭の日程で変わるマルディ・グラ
古代ローマ帝国がキリスト教を『国教』と認めた4世紀以降、地元の伝統や風習はキリスト教の習慣に融合されていきました。娯楽の要素もあって人気が高かった農耕祭は、新宗教であるキリスト教に加入したローマ人を懐柔するために、継続を認められたといわれます。
また、春分の日頃に行われていた植物の死と復活を司る神アティスの祭を、キリスト教にとって最も重要となる復活祭と同化させ、復活祭までの40日間を神聖な期間である四旬節としました。
四旬節では厳格な節制を強いたため、その分、四旬節の前に祭りを行わせ、カーニバルとして楽しむようにさせたのです。四旬節の期間はバターなどの動物由来食品の摂取が禁止されていたため、カーニバルで消費しなければなりませんでした。
四旬節での食事の節制は復活祭に備えて心身を清めるためとされますが、春の一歩手前で食料の蓄えが底をつく時期と重なり、自然と食事を質素なものにして、乗り切らなくてはならなかった古代の実践的な生活習慣が融合されたものだったとも言えます。
カーニバルは復活祭の日を基準として決まります。春分の日(3月20日または21日)以降に来る満月後、最初の日曜日が復活祭になるので、毎年移動します。復活祭から47日前をカーニバルとするため、毎年火曜日となり、フランス人はこの日を「マルディ・グラ(肥沃な火曜日)」と呼ぶようになったのです。(40日前ではなく47日前なのは、安息日である日曜日を数えないためです。)
マルディ・グラを祝う揚げ菓子
リヨンの「ビューニュ」は、古代ローマ時代に伝えられたものが元となり、中世時代に宗教上の意味づけをされて、人々に広く伝わるようになった揚げ菓子です。
今日、リヨンでは二種類のビューニュが存在します。薄くてパリパリしたビューニュ と ドーナツのようなふわふわのビューニュ。素朴でシンプルなため、揚げてあってもしつこさがなく、いくらでも食べられるお菓子です。
マルディ・グラの当日だけでなく、2月中旬から3月中旬まで買うことができます。
長く厳しい冬が終わりもうすぐ春本番
フランスではバレンタインデーではなく、復活祭にチョコレートを贈る風習があります。バレンタインデーも、古代ローマの神ルペルカーリアの祭に代わって、キリスト教が創設した行事です。
復活祭のシンボルが卵というのは、イエス・キリストの復活になぞらえたものですが、その昔、節制中の四旬節に鶏が産み続けた卵の余剰在庫を復活祭で消費するため という現実的な理由があったからなのだそうです。
長く厳しい冬が終わりを迎え、新しい始まりを迎える春。
誰もが待ち望む春本番はもうすぐです。
- 四旬節の食事の節制に関する記述
- カーニバル、マルディ・グラ、灰の水曜日、四旬節
- <Bugne>フランスアカデミー辞書第9版
1999年より乳業団体に所属し、食育授業や料理講習会での講師、消費者相談業務、牛乳・乳製品に関する記事執筆等に従事。中でも学校での食育授業の先駆けとして初期より立ち上げ、長年講師として活躍。2011年退職後渡仏、現在フランス第二の都市リヨン市に夫、息子と暮らす。