コラム、「ミルクの国の食だより」の第96回をお送りします。前回に続き、フランスのデザート「リ・オレ」のおはなしです。世界最古の栽培食物とされる「お米」と「ミルク」が時代を超え、栄養価の高い"おいしいデザート"としていただける奇跡☆
世界最古の栽培植物とは
世界最古の栽培植物とされているコメ(稲)。
ヨーロッパにおける米との関わりは古く、紀元前4世紀、マケドニア(現在のギリシャなど)のアレキサンダー大王がインドまで遠征した際に、地中海世界にその存在が伝わったと言われています。
当時は、王族や裕福な人々の胃のむかつきを抑える薬用植物として利用されていたそうです。
また、ミルクについても、非常に強力な栄養力があることから、ギリシャ人やローマ人にとっては薬のような存在だったようです。
そのため、食品としてはそのまま飲むことはせず、山羊や羊のミルクを主にチーズに加工して消費していました。
ミルクを飲んでいた「ガリア人」
同じ時代、ミルクを飲んでいたのは、ローマ人に「ガリア人」と呼ばれた人々。
現在のフランスの地を支配していたガリア人は、山羊や羊だけでなく、牛を群れで飼い、牛乳を食品として飲用していました。
多くの民族にとって主食とされていた小麦、大麦、オーツ麦など穀物ベースのおかゆにもガリア人は牛乳を使っていました。
肉を食べ、牛乳、水、大麦で作ったビールのようなアルコールを飲み、大食・大酒家で知られたガリア人。
食事は素朴なものでしたが、後にこの地はローマ帝国の一部となり、ガリア人の食はローマの影響を大きく受けることになります。
一方のローマ人にもガリア人の食が知られるようになっていきます。
そして、ローマ帝国の分裂時期(4世紀〜)に起こった民族大移動によって、さらにこの地にゲルマン人が侵入し、ガリア・ローマの文化とゲルマンの文化が共存することになり、食文化も少しずつ融合していきました。
世界に広がる「ミルク」
イタリア半島に誕生した都市国家から、地中海領域を支配するまでに発展したほど西洋古代最大の国家だったローマ帝国。
牛の繁殖に有利な地中海の気候条件のおかげで 牧畜が広がり、中世を通して、大西洋ヨーロッパで牧畜経済を繫栄させていきました。
すると、ミルクをチーズに利用するローマ人の知恵が他のヨーロッパ地域に拡散されるようになりました。
もともとチーズはローマ人やギリシャ人が、ミルクやバターはガリア人やゲルマン人が利用していたように、ミルクの用途は民族によって限定されていましたが、数世紀にわたる歴史において、様々な民族が交わり、文化が形成されていった中で、穀物がゆにミルクを利用するガリア人の食事もローマ人や他の民族にも取り入れられていったのでしょう。
もしかするとアレキサンダー大王がすでに食していたかもしれませんね。
※このテーマは次号に続きます。
▼Le lait des Grecs : boisson divine ou barbare ? (Janick Auberger著)
ギリシャ人のミルク:神聖な飲み物ですか、それとも野蛮な飲み物ですか?(歴史研究論文)
https://www.persee.fr/doc/dha_0755-7256_2001_num_27_1_2440
Du rejet à l’intégration(Bruno Laurioux著)
https://www.lemangeur-ocha.com/wp-content/uploads/2012/02/02_rejet_integration.pdf
1999年より乳業団体に所属し、食育授業や料理講習会での講師、消費者相談業務、牛乳・乳製品に関する記事執筆等に従事。中でも学校での食育授業の先駆けとして初期より立ち上げ、長年講師として活躍。2011年退職後渡仏、現在フランス第二の都市リヨン市に夫、息子と暮らす。