【北海道 函館・道南編】
第5回 修道女たちのチーズ経営 ~函館~

にほんの酪農・歴史さんぽ 連載一覧

幕末に外国人に開かれた港町・函館では、明治時代に入る以前から、牛乳やバターの需要が生まれました。外国人との交流を通してキリスト教と出会い、信仰とともに酪農を受け入れた先駆者がいました。国内に乳業が生まれる前の明治時代の後期、この地域に乳牛を飼うことが広がるきっかけとなったのは、本場ヨーロッパの酪農を実践し、乳製品を製造販売したふたつの修道院の存在でした。先人のことばや古い地図を手がかりに、函館を中心にした北海道南部の酪農の歩みをたどります。

第5回 修道女たちのチーズ経営 ~函館~

唯一の国産チーズメーカー

1912(大正元)年の農商務省農務局の調査報告によると、国内のチーズ製造者は「北海道の一戸」のみで、そこにはひとりの女性の名前が記されています。「マウア・ゼアン・ウォアン 北海道亀田郡湯川村」。「天使の聖母トラピスチヌ修道院」(天使園)の初代院長を務めたフランス人修道女のM.スコラスチカ・ジャンヴォアンのことです【=写真】。
  • M.スコラスチカ・ジャンヴォアン初代修道院長
    「天使園百年のあゆみ 厳律シトー修道会天使の聖母トラピスチヌ修道院創立100周年記念誌」1999年より
1898(明治31)年、フランス北東部のナンシー郊外にあるウプシー修道院からはるばるやって来た修道女8人によって創立された天使園では、生計維持のために牛を飼い、明治末から昭和にかけてチーズを製造販売しました。数字の残る大正から昭和初期まではコンスタントに年間1万4千~2万7千ポンド(約6.3~12.2トン)を生産した国内最大のチーズ製造販売者であったことはあまり知られていません。この時期における同修道院のチーズの販売価格はいずれもバターの2倍から4倍近くあり、チーズが重要な収入源であったことを物語っています。大正期を通じて安定的に生産したのは天使園のみで、乳業メーカーが相次いでチーズ製造に乗り出すのは昭和に入ってからのことです。
キリスト教や外国人に対する偏見が強かった創立期の苦労や窮乏は並大抵ではありませんでした。多くの修道女が病に倒れ、本国フランスからも撤退をすすめられましたが、M.スコラスチカは「みなが帰っても私は残る」と語ったことが、修道院の沿革史にありました。信仰に生きた不撓不屈の女性たちの生活を、故郷ヨーロッパのチーズづくりの技術が支えたのでした。
  • 現在のトラピスチヌ修道院

明治期からチーズ輸出

天使園に残る資料によると、初めてチーズが作られたのは1904(明治37)年6月のことだそうです。創立者のひとりだった修道女S.アントワネットがチーズ1個をつくり函館に持参し、ベルリオーズ司教に売ったことが、収益事業の始まりと伝えられています。
聖女と慕われたというフランス出身のM.ベルクマンスが販売係をしたのは、1905(明治38)年頃から1910(明治43)年2月頃と見られ、当初から一定の量を生産した模様です。現在の北斗市にある男子のトラピスト修道院でも、1909(明治42)年にチーズ製造の計画がありましたが、既に製造していた天使園から苦情が寄せられ、「隣家の姉妹から唯一の生活の途を奪わないため、チーズ製造計画を断念するように」との本部からの勧告を受けて断念した記録が残っています。このことから明治40年代にはすでに、チーズ製造は天使園の経営を支える事業だったと推測できます。
函館日日新聞の記事(明治44年5月29日)によると、1910(明治43)年において、飼養牛頭数31頭、搾乳量に付近からの買い入れを合わせた合計乳量392石4斗(約71トン)、価格3,942円。すべて牛酪、乾酪に加工し、横浜市より輸出され、価格は7,301円ともあります。
同院に残る1915(大正4)年の記録によると、当時の販路は「三府五港、中華民国天津の直接消耗者」。三府五港とは、東京・京都・大阪の三府、幕末に開港した横浜・神戸・函館・新潟・長崎の五港を指します。故国を離れて日本と中国で布教やビジネスに従事する欧米のひとびとには故郷の味を、地域の農家にとっては乳代という収入源をもたらしました。

近隣の農家から牛乳買い入れ

ところで、当時の酪農作業はどんなものだったのでしょうか。古参の修道女の話によると、近隣から牛乳を買い入れて毎朝9時からチーズを作っていたといいます。1916(大正5)年入会の修道女は、当初からチーズ製造に従事したそうです。責任者はS.アントワネットで、「歌隊女」も日曜ごとにチーズ洗いの手伝いをしたとのこと。搾乳のたび1日3回、乳を回してクリームをとったのでチーズ舎の仕事はかなり忙しかったとの語りが残っています。
天使園が1914(大正3)年に財団法人設立許可を申請した際の副申書に酪農経営の実態が記されていました。「本事業の為従事せる同志婦人は現在39名にして何れも本院の主義とする不撓不屈の精神を以て自ら農牧を営し、尚広く附近各村畜牛家より生乳を購買し之に本院飼牛の搾乳を合せて牛酪、乾酪及び麦粉並に強壮剤タンニヨールを製造販売す」。当時の生乳買入高は年に約300石(約54トン)、修道院の飼養牛の搾乳高が約250石(45トン)、1万3千斤(約5.8トン)の乾酪(チーズ)、4600斤(約2トン)の牛酪(バター)が生産されたといいます。1922(大正11)年度の収支決算報告によると、1921(大正10)年には62頭を飼養、その年の牛乳購入費は16,592円。チーズによる収益は17,040円、バターの収益は7,790円でした。庶民には100円が大金だった時代のこと、地域の農家にとって通年で入る牛乳代は、まさに「天の恵み」だったことでしょう。
函館牛乳の創業者で、天使園から約2キロの近郊にある酪農家に生まれ育った金子隆さんは、幼い頃に父に連れられ、天使園に牛乳を出荷した思い出を地元新聞のインタビューで語りました。牧場と修道院の中間地点にある丘まで馬車や馬橇で牛乳缶を運び、修道女に引き渡したそうです。
農林省の記録によれば、1935(昭和10)年、天使園はチーズ27,434斤(約12.3トン)、バター4,338斤(約2トン)を生産。しかし、太平洋戦争開戦後の1943(昭和18)年には、軍用機の接着剤となるカゼイン増産に協力させられ、外界と隔絶された感のある女子修道院も、戦争とは無縁ではいられませんでした。
戦後まもない1946(昭和21)年8月、修道院では就労人員3名で「月産バター50㎏、チーズ200㎏」を生産したとの記録が残っています。生乳の購入は1947(昭和22)年まで継続して行われていたそうです。1952(昭和27)年にはアイスキャンデー、アイスクリームも製造、特にアイスクリームは脂肪分が多く、好評を博したとか。1958(昭和33)からは、バター飴の製造も始まりました。
  • 天使園の展示より

チーズの味

修道女の手で作られ、国内外に販売されたチーズは、どんな種類のチーズだったのでしょうか。
筆者が2021(令和3)年に修道院長から頂いたお手紙には、45年ほど前に修道院に来られた当時、クリームチーズとゴーダチーズが時折食卓にのることがあり、特にクリームチーズの美味しさは格別だったとありました。
金子隆さんの弟・健治さんは、中学生だった1960年頃、天使園で働いていた牧夫にチーズをもらって、食べたことがあるそうです。味はよくおぼえていないとのことでしたが、硬いチーズだったといいますから、ゴーダチーズだったかも知れません。
天使園の創設時から生計を支え、戦後まで続けられたチーズ製造ですが、修道院の記録によると、1916(大正5)年から製造されたゴーダチーズは1963(昭和38)年、クリームチーズは1968(昭和43)年を最後に在庫がなくなったそうです。1984(昭和59)年にはホルスタインの乳牛が、肉牛に切り替えられました。
修道院の鐘を朝晩聞きながら長年酪農を営んだ金子周治さんは、乳脂肪率6.2パーセントの乳が出る乳牛がいると聞き、牛を譲り受けたいと修道院を訪れたことがあるそうです。そこで目にしたのは、修道女らが乳牛を名前で呼び、丁寧に扱う姿でした。「普及所の言うとおりに、限界まで食べさせて乳量を増やし、維持する飼い方をしてきたが、間違いだったのは、と感じた。乳いっぱい出せる牛もそうでないのもいて当然。動物は機械じゃないんだから」。
天使園で製造販売された品のなかに、「タンニヨール」という耳慣れぬ名があります。1935(昭和10)年発行の函館市史には、「ことに同園生産のタンニヨールは風味佳良で滋養に富み肝油にも優る効能があるといふので名聲めいせい を博してゐる…」と紹介されています。天使園の沿革史には栄養飲料で、1914年(大正3)に製造されていたとのみ記載があります。乳製品だったのかも含めて謎です。
  • 明治から1960年代までチーズを製造販売
    「天使園百年のあゆみ 厳律シトー修道会天使の聖母トラピスチヌ修道院創立100周年記念誌」1999年より
 【参考文献】
天使の聖母トラピスチヌ修道院「天使園百年のあゆみ 厳律シトー修道会天使の聖母トラピスチヌ修道院創立100周年記念誌」1999年
「函館市史」1935年
北海道新聞夕刊 2012年6月5日 「わたしのなかの歴史」金子隆
執筆者:小林志歩
モンゴル語通訳及び翻訳者、フリーライター
関連書籍:ロッサビ・モリス「現代モンゴル—迷走するグローバリゼーション」(訳)[明石ライブラリー2007年]
ミルクの「現場」との出会いは、モンゴルで一番乳製品がおいしいと言われる高原の村でのことでした。人々はヤク、馬、山羊、羊を手搾りし、多様な乳製品を手作りしていました。出産して母乳の不思議を身体で感じると、地元で見かける乳牛に急に親近感がわきました(笑)。異文化が伝わる過程に興味があり、食文化や歴史をテーマに取材、執筆、翻訳等をしています。好きな乳製品は、生クリームとモッツァレラチーズ。北海道在住。
編集協力:前田浩史
ミルク1万年の会 代表世話人、乳の学術連合・社会文化ネットワーク 幹事 関連著書:「近代日本の乳食文化」(共著)[中央法規2019年]、「東京ミルクものがたり」(編著)[農文協2022年]