にほんの酪農・歴史さんぽ 連載一覧

わが国の酪農乳業産業の近代発達史は、日本の近代化を食生活の面で支え、国内農業と農山村社会の発展に寄与する重要な役割を担ってきました。そこで、主に明治期から昭和にかけて1860~1960年までの100年間に、全国各地で発展した酪農乳業の発達史を、 主要な地域の暮らしのなかにある痕跡を訪ねながら紐解き、コラム「にほんの酪農・歴史さんぽ」として紹介します。

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福岡編

地方都市における牛乳の生産や利用は、明治の中頃から少しずつ普及し定着していきます。今回は、近代における九州・福岡県のおける酪農産業の起こりについて、紹介したいと思います。なおこれまで、「にほんの酪農・歴史さんぽ」では、史料などから得られる情報を元に、それぞれの事業者や取り組みについてトピックス的に紹介してきました。そうした意味合いでは、地域の酪農産業史を構成する主要なパズルのいくつかを解説することで、地域酪農史の全体像がおぼろげに浮き上がるといった印象だったと思います。しかし、今回の福岡県については、現在も事業を継続している柳川牛乳と永利牛乳の個別事業者の沿革を、その創業から近年まで詳しく見ていくことで、起業者の個人史を通して地域の酪農産業史の流れを検討します。また、博物館などのバックヤードに眠っている「牛乳瓶」にも光を当ててみました。

横浜編

わが国におけるミルクの利用が、一般の人々の間に広がり定着していくのは、幕末に開港された函館、横浜、神戸、新潟、長崎などの港町に作られた外国人居留地からと考えても良いと思います。中でも横浜には、山下居留地と山手居留地が作られ多くの欧米人が暮らし始め、これらの外国人の需要を満たすために、自ら乳牛を母国より連れてきてミルクの生産が始められました。そして、そこで牧夫として働いた日本人の手によって、横浜や東京などに牛乳搾取業という商売が広がっていきます。まさに横浜は、近代日本酪農の発祥の地となった訳です。横浜編では、外国人居留地で始まった我が国のミルクの生産と利用についてご紹介します。

青森・岩手編

青森・岩手は気候条件が農作物の生産には不利な地域で、江戸時代から牧畜は重要な産業でした。江戸時代の前期には、現在の下北半島や北上山地の北部辺りで搾乳し、その乳を盛岡城に運んでいました。幕末から明治初期にかけて斗南地区にて西洋式牧場が開設されています。このような牧畜の発展が乳業工場における乳製品生産につながっており、こうした流れを追っていきます。

北海道 函館・道南編

第3弾は、幕末から外国人との交流を通して、その後のキリスト教信仰とともに酪農が広がった北海道「函館・道南編」をお送りします。

京滋(京都・滋賀)編

第2弾は、わが国の酪農史研究においてあまり注目されてこなかった京都と近接する滋賀地域を取り上げた「京滋(京都・滋賀)地域編」をお送りします。

北海道 十勝編

最初の地域は、現在、日本で有数な酪農産地となっている北海道・十勝地域です。