【京滋(京都・滋賀)地域編】第6回 滋賀県の酪農乳業の始まりと展開

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第6回は「滋賀県の酪農乳業の始まりと展開」です。

第6回 滋賀県の酪農乳業の始まりと展開

近江商人と食肉文化

律令国家において「近江国」と呼ばれた現在の滋賀県は、琵琶湖を囲み近畿地方の北東部に位置する内陸県で、古くから、東海道と中山道及び北国街道が交差する交通の要衝として商業が発展してきました。
中世から近代にかけて活動した近江国出身の商人は近江商人と呼ばれ、大坂商人及び伊勢商人と並ぶ日本三大商人の一つに数えられています。
この近江の国では、古くから牛肉を食べる習慣がありました。「近江牛」生産・流通推進協議会HPに掲載されている内容から、その歴史は1590(天正18)年に、「豊臣秀吉の小田原攻略の折、高山右近が牛肉を蒲生氏郷と細川忠興に振る舞う」という逸話に遡ります。また、「薬食い」と称して、「江戸時代には、牛肉は薬用として食されていました」とあります。こうした中、1687(貞享4)年、近江国の北部に占める大きな藩であった彦根藩では「花木伝右衛門が、明の李時珍の著書『本草綱目』を参考に牛肉の味噌漬けを考案し、これを『反本丸(へんぽんがん)』と称した、と伝えられています」とあります。その後、彦根では、一般には食肉禁断の中、味噌漬け牛肉「反本丸」を特産品として、他藩の諸候にふるまったり、将軍家に献上したりしました。さらに陣太鼓に使う牛皮も幕府に献上していました。
明治時代の文明開化によって肉食が解禁され東京での牛肉の需要がたかまると、近江商人の家畜商が活躍を始めました。その中心になったのが蒲生郡竜王町出身の竹中久次と西居庄蔵でした。
1858(安政5)年、日米修好通商条約が締結され、横浜に多くの外国人が移住しました。外国人が好んで牛肉を食べるのを知った西居庄蔵は、1869(明治2年)に東海道を17~18日間かけて滋賀から横浜まで牛を引き連れていき外国人と直接取引をしました。
続いて1879(明治12)年、竹中久次が東京に進出しました。1885(明治18)年には浅草に牛肉問屋、牛鍋屋(米久)を開業したことにより「近江牛」の人気が高まりました。
1882(明治15)年、西居庄蔵は、取引量の増加に伴い、神戸港から芝浦港(東京)に海運によって肉牛の出荷を開始しました。
東京府で屠畜される牛、年間2万頭のうち近江牛が6千頭を超えていたのは、竹中久次及び西居庄蔵の活躍があったからでした。
1889(明治22)年、東海道線が開通して滋賀と東京が鉄道で結ばれると、東京への牛肉の大量出荷が始まりました。1890(明治23)年、近江八幡駅より東京への鉄道輸送が始まると、「近江牛」と言うブランド肉が誕生して有名になりました。
こうして、鉄道を利用して消費市場に輸送する仕組みができると、肉牛は滋賀県蒲生郡苗村(現・蒲生郡竜王町)」に集められ、東京に向けて搬送されるようになりました。このことから近江商人は肉牛の集荷と販売力を生かし、さらに農家は牛の肥育技枝の向上に貢献したのでした。
  • 東京に近江牛の贈呈式 (1954頃・日本食肉史より)
  • 近江商人の商才と肥育技術の連携

牛乳搾取業の始まり

牛乳搾取業の始まりは、1870(明治3)年のことで、坂田郡神照村(現長浜市中心部)在住の林幾太郎という人物によるものでした。彼は北陸地方から牛を一頭購入して、これを育成し、さらに北陸地方から入手した雄牛を交配して分娩させ、搾乳にも成功しました。牛乳の販売をしましたが中々売れませんでした。しかし長浜町内に住む進歩的な医師が牛乳は病人に良いと広く勧めた事をきっかけに、牛乳を飲む人が多くなったといわれています。当時の様子が、このように、滋賀県史昭和編第3巻農業に記録されています。
また、竹細工職人だった木村熊治郎が、1872(明治5)年に乳牛の飼育を行い、草津矢倉で搾乳販売業を始めたといわれます。栗太郡物部村(現・守山市)及び、蒲生郡郡八幡町(現・近江八幡市)に支店をおき、さらに京都葛野郡朱雀野村(現・京都市中京区)で西ヶ原牧場(信乳館)を営業しました。当時、草津の本店(草神舎)を木村七郎、各支店を木村末三郎が運営する木村兄弟商会を1915(大正4)年に立ち上げました。1959(昭和34)年に木村牧場と改名してキムラ社旗がたなびく牛乳壜を用いて隆盛を極めましたが、1998(平成10)年、乳業施設再編合理化事業により工場を閉鎖しました。
1877(明治10)年創業した安井牧場(甲賀市土山町北土山)は、現存する牛乳メーカーの老舗です。製造量など詳細は分かりませんが、市街の各所に牛乳箱があります。正面には近江牛乳創業明治10年と書かれています。さらに右側にはフルーツ牛乳、ヨーグルト、コーヒー牛乳と掲載されています。老舗を表す風格のある牛乳箱です。
最近、滋賀県乳牛畜産組合の米原・角田牧場の牛乳壜が、多賀町保月で発見されました。高さ164.63㎜、内ネジ式細口ガラス壜で、エンボスで「全乳」「正味一合」と書かれています。さらに彦根・川瀬牧場の牛乳壜が米原市で発見されました。高さ166.75㎜の内ネジ式細口壜で、前者と同じくエンボスから「全乳」及び「正味一合」と読み取ることができます。牧場の事業内容は分かりませんが、この表示は、東京では明治末から使用されていました。滋賀県は少し遅れ大正期から昭和初期に、このようなガラス壜が流通したものと思われます。貴重な牛乳壜です。(公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館所蔵)
  • 角田牧場内ネジ式細口ガラス壜
    (公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館所蔵)
  • 川瀬牧場内ネジ式細口ガラス壜
    (公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館所蔵)

近江八幡市の牛乳事業

1954(昭和29)年、蒲生郡八幡町、岡山村、金田村、桐原村、馬淵村が合併してできた近江八幡市は、滋賀県のほぼ中央に位置し、琵琶湖で最大の島である沖島を有しています。また市内にある琵琶湖で一番大きい内海である西の海は、「ヨシ」が群生する水郷地で琵琶湖八景の一つになっています。
古くから農業を中心に栄え、中世以降になると陸上と湖上の交通要衝という地の利をえて、豊臣秀吉の甥、秀次が八幡山に城を築いて城下町を整備したのが町の基礎となりました。
そして、楽市楽座の施行により近江商人が活躍する舞台になりました。このような背景から各時代を代表する歴史的遺産が点在するとともに風情が薫る景観は素晴らしいものがあります。
近江八幡市は、京都・大阪からの文化導入とともに、アメリカからウィリアム・メレル・ヴォーリズらが明治初期に赴任しました。ヴォーリズは日本で多くの西洋建築を手掛けた建築家、社会事業家、キリスト教伝道者、ヴォ—リズ合名会社の創立者の一人でメンソレータムを広く普及したヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人です。
ヴォーリズは、近江八幡市にアメリカ文化の強い影響を与えたこともあって、近江牛で牛の飼育技術をもっていた近江地方で、1897(明治30)年ころに乳牛を飼養して牛乳搾取業が起こりました。
搾取業者が次々と誕生し7社になりました。荒川牧場、太田牧場(博愛堂)、志賀牧場、高木牧場(創業時は長生堂)、西牧場(養成堂)、本間牧場(豊水舎)とその同系の本間牧場でした。
高木牧場の前身である長生堂(1904〈明治37〉年)の引札(現代の広告チラシ)があります。馬上の姿は乃木希典・陸軍大将を描いたもので図中の色紙には「古今無双の大忠臣 乃木大将の英姿」とあります。長生堂は、当時の乃木大将の国民的人気を自社牛乳の宣伝に上手に使ったものと思われます。引札に表現されている「蒸気消毒」とは牛乳営業取締規則が公布され、蒸気消毒が奨励された当時の状況を反映しています。「高等全乳」という表現は最上の牛乳であるという意味です。
また、西田牧場の引札は1909(明治42)年の暦で、干支の酉に配布したものです。この暦には、右側に新暦、左側に旧暦を記した親切なものでした。農家では旧暦を採用、町場では新暦であったからです。牛乳屋は年末になるとお得意さまに配布し、家庭ではこの一枚の暦を台所の壁に貼って重宝していました。しかも大黒さまが打ち出の小槌を振っている縁起のよい図柄です。引札は東京浅草で制作しているのが慣例でした。しかし近江八幡を始め滋賀県の搾取業者は前述のように早くから東京に依頼して引札が使われていたため、広告宣伝の方法が一歩進んでいました。
  • 明治期の長生堂(現・高木牧場)の引札(1904)雪印メグミルク(株)(酪農と乳の歴史館)所蔵
  • 西田牧場の暦の引札(1909)雪印メグミルク(株)(酪農と乳の歴史館)所蔵

牛乳配達人が安心できるのは“配達人証明書”

大津市の牛乳販売搾取業であった疋田虎之助は、牛乳配達人が早朝に牛乳を配達する際、巡査から不審尋問などを受けないようにするため、地元の警察署に雇い主が事前に牛乳配達人の身分証明書を届けました。例えば証明書には「第90号」として「牛乳配達人 幸田喜久雄 明治四十三年十月十二日生」とあり、さらに「本籍地 大津市中堀町十二番地」とあります。裏面には「牛乳販売搾取業 大津市上野田町三番地 疋田虎之助」雇い主の氏名と住所を明記してあります。そして「滋賀県大津警察」と焼き印が押してあります。雇い主の心遣いは、全国的にも珍しい配達人の証明書といわれています。
  • 配達人の証明書(週刊酪農乳業時報より)
 【参考文献】
 「近江牛」生産・流通推進協議会HP 近江牛の歴史
 滋賀県の畜産  滋賀県経済部 滋賀県(1935)
 日本食肉史 福原康雄 食肉文化社(1956)
 滋賀県史(昭和編)県史編纂委員会 滋賀県(1976)
 滋賀県の歴史 畑中誠治 山川出版社(1997)
 近江八幡の歴史(第2巻)市史編纂委員会 近江八幡市 (2006)
 酪農乳業発達史 滋賀県 矢澤好幸(Jミルク)(2018)
執筆者:矢澤好幸
ミルク工場に長く勤め乳文化に興味をもつ。日本酪農乳業史研究会顧問。関連著書:乳の道しるべ(酪農事情社)・酪農乳業発達史(Jミルク)・近代日本の乳食文化(共著)[中央法規2019年]・東京ミルクものがたり(共著)[農文協2022年]
 
編集協力:前田浩史
ミルク1万年の会 代表世話人、乳の学術連合・社会文化ネットワーク 幹事 、日本酪農乳業史研究会常任理事 関連著書:「酪農生産の基礎構造」(共著)[農林統計協会1995年]、近代日本の乳食文化」(共著)[中央法規2019年]、「東京ミルクものがたり」(編著)[農文協2022年]