コラム、「ミルクの国の食だより」の第66回をお送りします。前回に続き朝食のお話です。カフェオレは、産業革命後に労働者の朝の活力源としての大切な役割があったようです。お国柄によって食の歴史はさまざまですね。
毎食ほとんど、パン、スープ、ミルク、じゃがいも
19世紀のフランス、都市で暮らす労働者の食生活ではパン、スープ、ミルク、じゃがいもが主要な食べ物でした。
食事の主なエネルギー源だったパンは何時でも食されました。スープやミルクを浸して食べれば腹持ちもよく、安価で手に入ったミルクからわずかにできるバターを塗って食べたりもしました。パンが食べられない人はじゃがいもを代用しました。
産業革命によって朝食を摂る習慣ができても、内容は他の食事とあまり変わらず、毎食ほとんど同じものを食べるのが常でした。
食事の主なエネルギー源だったパンは何時でも食されました。スープやミルクを浸して食べれば腹持ちもよく、安価で手に入ったミルクからわずかにできるバターを塗って食べたりもしました。パンが食べられない人はじゃがいもを代用しました。
産業革命によって朝食を摂る習慣ができても、内容は他の食事とあまり変わらず、毎食ほとんど同じものを食べるのが常でした。
アルコールに代わり、栄養たっぷりなカフェオレが登場
しかしながら、1905年に医師によって行われた公衆栄養調査によると、労働者の2人に1人が朝食を摂っていなかったそうです。
代わりに早朝から酒屋に立ち寄って、ワインや蒸留酒を飲んで職場に向かう者も多くいたと報告されています。
職場では朝食の欠食から疲労困憊し、事故が絶えなかったようで、医師らは仕事の前に一日のエネルギー源となるような朝食をしっかり摂ることを推奨していました。
生活が少しずつ豊かになっていくと、これまで裕福な人たちしか飲めなかったコーヒー、ココア、紅茶といった外国原産の飲み物が庶民の食卓にも登場します。パリではコーヒーの飲み方のバリエーションとして、ミルクを混ぜて飲むスタイルがエリートたちに大流行しました。
瞬く間に都市の労働者や農民たちにも広まり、「カフェオレ」がフランスの朝食に欠かせない飲み物になりました。
労働者にとってアルコールに代わる朝の活力として、ミルクの栄養が入ったカフェオレが存在感を発揮したに違いありません。
代わりに早朝から酒屋に立ち寄って、ワインや蒸留酒を飲んで職場に向かう者も多くいたと報告されています。
職場では朝食の欠食から疲労困憊し、事故が絶えなかったようで、医師らは仕事の前に一日のエネルギー源となるような朝食をしっかり摂ることを推奨していました。
生活が少しずつ豊かになっていくと、これまで裕福な人たちしか飲めなかったコーヒー、ココア、紅茶といった外国原産の飲み物が庶民の食卓にも登場します。パリではコーヒーの飲み方のバリエーションとして、ミルクを混ぜて飲むスタイルがエリートたちに大流行しました。
瞬く間に都市の労働者や農民たちにも広まり、「カフェオレ」がフランスの朝食に欠かせない飲み物になりました。
労働者にとってアルコールに代わる朝の活力として、ミルクの栄養が入ったカフェオレが存在感を発揮したに違いありません。
学校にワイン持参・・・?
また学校へ通う子供たちは、のどが渇いた時に飲むためにワインを持って登校する習慣がありました。殺菌効果の期待などから、親が積極的に飲ませていたそうです。
顔を赤くして眠そうに授業を受ける子の姿も見られ、子供のアルコール依存と戦後の栄養不足の問題を同時に解決するために1956年、フランス首相によって成長に必要な栄養が豊富なミルクと砂糖が学校で供給されることになりました。
顔を赤くして眠そうに授業を受ける子の姿も見られ、子供のアルコール依存と戦後の栄養不足の問題を同時に解決するために1956年、フランス首相によって成長に必要な栄養が豊富なミルクと砂糖が学校で供給されることになりました。
「朝食は、新しい日の最初の喜びの瞬間」
パンをスライスしてバターを塗った タルティーヌ、苦いコーヒーにミルクの甘さが加わったカフェオレ — 今日ある代表的なフランス朝食メニューとともに、「朝食を食べる」という確立した慣習として、フランス全土に根を下ろしていったのは第二次世界大戦以降でした。
20世紀半ばから、伝統的な朝食は「フランス人の食事のあり方」の指標の一つになります。
「フランス人の食事のあり方」とは、第一に朝食を含む1日3食を食べること。そしてそれは、単に生物学的な摂食ではなく、フランス人の特異性でもある喜びを享受するような食べ方や食物を兼ね備えていること。
本能をゆさぶる甘味や油脂を使った食べ物、薫り高い飲み物(コーヒー、紅茶、チョコレートミルク、フルーツジュース)を中心とした朝食もこれらの欲求に応えるものです。
そしてそれは自分一人だけでなく、家族や仲間と「一緒に食べる」ということが何よりも大切な食事スタイルです。
Le petit-déjeuner, premier plaisir de la journée…
朝食は、新しい日の最初の喜びの瞬間なのです。
20世紀半ばから、伝統的な朝食は「フランス人の食事のあり方」の指標の一つになります。
「フランス人の食事のあり方」とは、第一に朝食を含む1日3食を食べること。そしてそれは、単に生物学的な摂食ではなく、フランス人の特異性でもある喜びを享受するような食べ方や食物を兼ね備えていること。
本能をゆさぶる甘味や油脂を使った食べ物、薫り高い飲み物(コーヒー、紅茶、チョコレートミルク、フルーツジュース)を中心とした朝食もこれらの欲求に応えるものです。
そしてそれは自分一人だけでなく、家族や仲間と「一緒に食べる」ということが何よりも大切な食事スタイルです。
Le petit-déjeuner, premier plaisir de la journée…
朝食は、新しい日の最初の喜びの瞬間なのです。
参考資料
— Hygiène sociale. Enquête sur l'alimentation d'une centaine d'ouvriers et d'employés parisiens 1905
(公衆衛生;パリの工場労働者と事務従業員100人の食事の調査1905)
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k1268984k/f1.image.texteImage
— La règle, la mode et le travail : la genèse sociale du modèle des repas français contemporain
(規範、流行と労働;現代フランスの食事モデルの社会的起源)
https://books.openedition.org/editionsmsh/8155
— BOIRE ET MANGER EN FRANCE, DE 1870 AU DEBUT DES ANNEES 1990
(1870年から1990年代初頭のフランスでの飲食について)
https://hal.archives-ouvertes.fr/cel-01476345/document
(公衆衛生;パリの工場労働者と事務従業員100人の食事の調査1905)
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k1268984k/f1.image.texteImage
— La règle, la mode et le travail : la genèse sociale du modèle des repas français contemporain
(規範、流行と労働;現代フランスの食事モデルの社会的起源)
https://books.openedition.org/editionsmsh/8155
— BOIRE ET MANGER EN FRANCE, DE 1870 AU DEBUT DES ANNEES 1990
(1870年から1990年代初頭のフランスでの飲食について)
https://hal.archives-ouvertes.fr/cel-01476345/document
※このテーマは次号に続きます。
管理栄養士 吉野綾美
1999年より乳業団体に所属し、食育授業や料理講習会での講師、消費者相談業務、牛乳・乳製品に関する記事執筆等に従事。中でも学校での食育授業の先駆けとして初期より立ち上げ、長年講師として活躍。2011年退職後渡仏、現在フランス第二の都市リヨン市に夫、息子と暮らす。
1999年より乳業団体に所属し、食育授業や料理講習会での講師、消費者相談業務、牛乳・乳製品に関する記事執筆等に従事。中でも学校での食育授業の先駆けとして初期より立ち上げ、長年講師として活躍。2011年退職後渡仏、現在フランス第二の都市リヨン市に夫、息子と暮らす。