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  562年頃 欽明天皇の時代に、百済から善那ぜんな一族が来日。少なくともこの時期には日本に乳文化が伝来した
飛鳥・奈良時代 645年 善那ぜんな一族が孝徳天皇に牛乳を献上したと『新撰姓氏録』に記される
701年 大宝律令で、官制の乳戸にゅうこという一定数の酪農家が都の近くに集められ、皇族用の搾乳場が定められた
718年 元正天皇の時代、牛乳を煮詰めてつくる「」の献上を七道諸国に命じた
平安時代 927年 醍醐だいご天皇の時代、「貢蘇こうその儀」の順番、献上する容器を、法典「延喜式」に定めた。「醍醐だいご」とは涅槃経ねはんぎょうの「乳はらくとなり、らく生酥せいそとなり、生酥せいそ熟酥じゅくそとなり、熟酥じゅくそ醍醐だいごとなる、醍醐だいご最上なり」からきた言葉で、これ以上のおいしさはないという意味である
984年 日本で現存する最古の医術書『医心方』には、「牛乳は全身の衰弱を補い、通じを良くし、皮膚を滑らかに美しくする」と古代乳製品の効用と解説が記されている
皇族から始まった牛乳飲用は、藤原一族から広く貴族の間に広まった。天皇、皇后、皇太子で1日約2~3Lを供し、余りは煮詰めて保存のよい酥をつくったと記されている。このように広まった牛乳飲用だが、仏教で殺生を禁じたり、朝廷の勢力が次第に弱まるとともにすたれていった
江戸時代 1596年 海外の宣教師が貧民の幼児を集めて牛乳を飲ませる乳児院を長崎に建てたが、キリシタン弾圧で廃止された
1727年 8代将軍吉宗は、長崎のオランダ商館長に馬の医療用として牛乳の必要性を教えられ、白牛3頭を千葉県旧安房郡で飼育し始めた。これが近代酪農の始まりといわれている。当時この牛乳から、それを煮詰めて乾燥させて団子状に丸めた「白牛酪はくぎゅうらく」(濃縮乳)もつくられた
開国して外国人が住むようになると、牛乳の必要性がいっそう高くなった
1863年 前田留吉は、オランダ人から牛の飼育、搾乳を習い、横浜に牧場を開き、牛乳の販売を始めた
明治・大正・昭和時代 1869年 横浜で町田房造が、日本人で初めてアイスクリームを製造販売
1871年 「天皇が毎日2回ずつ牛乳を飲む」という記事が新聞・雑誌に載ると、国民の間にも牛乳飲用が広まるようになった
1951年 厚生省令第52号乳等省令(現 乳等命令)を公布