牧畜民の生活から生まれ、世界へ広がったチーズ
人間がいつチーズを食べるようになったかは明確にはわかりませんが、牧畜民の誕生とともに始まったと考えられます。羊や山羊の泌乳は半年ほどなので、非搾乳期も含めて一年を通じて乳を利用するためには、乳を加工し、バターオイルやチーズにして保存しておく必要があります。はっ酵乳を脱水・乾燥させるだけでつくることができる酸凝固・非熟成乾燥チーズの簡便さを思うと、乳利用の歴史の相当早い段階でチーズ加工が始まっていたことでしょう。家畜と乳に一年を通じて全面的に依存する牧畜民にとって、乳のたんぱく質や脂肪を加工・保存することは、生きていくうえで不可欠なことだったのです。
物的証拠としては、紀元前4000年ごろと思われる古代メソポタミアの壁画にはチーズなどの製造法が描かれており、インドでも紀元前15世紀から紀元前13世紀のものといわれる「ベーダの賛歌」の中にチーズを勧める歌があります。
物的証拠としては、紀元前4000年ごろと思われる古代メソポタミアの壁画にはチーズなどの製造法が描かれており、インドでも紀元前15世紀から紀元前13世紀のものといわれる「ベーダの賛歌」の中にチーズを勧める歌があります。
チーズづくりが重要な産業となったローマ時代
ローマ帝政時代には、チーズづくりはすでに大切な産業になっており、紀元前36年のウァロ『農業論』には詳細なチーズの製造法が記録されています。
チーズの製法は秘伝のような形で伝えられ、特にヨーロッパでは中世の修道院や封建領主によっても守られ、長い歴史の間にそれぞれの地方色豊かなたくさんの種類が生まれました。
チーズの製法は秘伝のような形で伝えられ、特にヨーロッパでは中世の修道院や封建領主によっても守られ、長い歴史の間にそれぞれの地方色豊かなたくさんの種類が生まれました。
日本におけるチーズの歴史
日本では、6世紀ごろ大陸から乳を利用する文化が渡来しましたが、当時の酥 や醍醐 といった乳製品は今でいうとバターやバターオイルのようなものと考えられ、私たちが食べているようなチーズは、1880年ごろにアメリカ人エドウィン・ダンの指導により北海道の試験場で試作されたのが最初です。
その後、1904年ごろから函館教区のトラピスト修道院でもつくられるようになりました。しかし、昭和初期までチーズの消費量はごくわずかで、ほとんどが輸入品でした。本格的につくられるようになったのは、1933年に北海道製酪販売組合連合会が北海道の遠浅 にチーズ専門工場をつくってからです。
日本でチーズの消費が急激に伸びたのは、食生活の洋風化や生活水準が向上した1950年後半からです。1975年ごろのピザの普及、1980年ごろのチーズケーキのブームなどナチュラルチーズの消費が広がり、1988年には従来多かったプロセスチーズに加えてナチュラルチーズの消費が多くなりました。
2022年の国民1人あたりの年間消費量は2.5kg。ヨーロッパ諸国の消費量と比べると約10分の1ですが、日本人の食生活の中にはチーズが定着し、ナチュラルチーズの特有の風味を楽しむ人が確実に増えてきています。
その後、1904年ごろから函館教区のトラピスト修道院でもつくられるようになりました。しかし、昭和初期までチーズの消費量はごくわずかで、ほとんどが輸入品でした。本格的につくられるようになったのは、1933年に北海道製酪販売組合連合会が北海道の遠浅 にチーズ専門工場をつくってからです。
日本でチーズの消費が急激に伸びたのは、食生活の洋風化や生活水準が向上した1950年後半からです。1975年ごろのピザの普及、1980年ごろのチーズケーキのブームなどナチュラルチーズの消費が広がり、1988年には従来多かったプロセスチーズに加えてナチュラルチーズの消費が多くなりました。
2022年の国民1人あたりの年間消費量は2.5kg。ヨーロッパ諸国の消費量と比べると約10分の1ですが、日本人の食生活の中にはチーズが定着し、ナチュラルチーズの特有の風味を楽しむ人が確実に増えてきています。